よ。そうして、あなたの場合はその発作だと思いますがね。シムラの人びとは婦人の一マイル競走の時のあの光景をみな知っていますよ。さあ、私は五分間の猶予《ゆうよ》をあたえますから、癲癇の血統があるか無いか考えてみてください」
 そこで、この五分間――今でも私はこの世ながらの地獄のどん底をさぐり廻っていたような気がする。同時に、疑惑と不幸と絶望との常闇《とこやみ》の迷路をつまずき歩いている自分のすがたを、私は見守っていた。そうして私もまた、ヘザーレッグが椅子に腰をかけながら知りたがっているように、自分はどっちを選択するだろうかという好奇心をもって自分をながめていたが、結局、わたしは自分自身がきわめて微かな声で返事をしたのを聞いた。
「この地方の人間はばかばかしく道徳観念が強い。それだから彼らに発作をあたえよ、ヘザーレッグ、それからおれの愛をあたえてくれ。さて、おれはもう少し寝なくっちゃならない」
 それから二つの自己がまた一つになると、過ぎ去った日の事どもをだんだんにたどりながら、ベッドの上で蜿《のた》うち廻っている、ただの私(半分発狂し、悪魔に憑《つ》かれた私)になった。
「しかしおれはシムラにいるのだ」と、私はくりかえして自分に言った。「ジャック・パンセイというおれは、今シムラにいる。しかもここには幽霊はいないではないか。あの女がここにいるふうをしているのは不合理のことだ。何ゆえにウェッシントン夫人はおれを独りにしておくことが出来なかったのか。おれは別にあの女に対してなんの危害を加えたこともないのだ。その点においてはあの女も同じことではないか。ただ、おれはあの女を殺す目的で、あの女の手に帰って行かなかっただけのことだ。なぜおれは独りでいられないか。……独りで、幸福に……」
 私が初めて目をさました時は、あたかも正午であったが、私が再び眠りかかった時分には太陽が西に傾いていた。それから犯罪者が牢獄の棚《たな》の上で苦しみながら眠るように眠ったが、あまりに疲れ切っていたので、かえって起きている時分よりも余計に苦痛を感じた。
 翌日もわたしはベッドを離れることが出来なかった。その朝、ヘザーレッグは私にむかって、マンネリング氏からの返事が来たことや、彼(ヘザーレッグ)の友情的|斡旋《あっせん》のおかげで、わたしの苦悩の物語はシムラの隅ずみまで拡がって、誰もみなわたしの立ち場に同
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