、路《みち》にころがっている石も一つ一つはっきりと見えて、眼をつぶったままでも教会へゆく道は立派に分かったといいます。そこで、ノンスの道とパロアスの道の角まで、わけもなしにたどって来ると、そこには、おもおもしい梁《はり》に系統木(クリストの系図を装飾的に現わしたもの)の彫ってある木造の家が建っていました。
 ここまで来ると、カトリーヌは教会の扉があいていて、たくさんの大きい蝋(燭の灯)が洩れているのを見たのです。歩いて教会の門を通ると、自分はもう教会のうちにいっぱいになっている会衆の中にはいっていました。礼拝者の人たちは見えなかったのですが、そこに集まっているのはいずれも天鵞絨《ビロード》や紋織りの衣服を着て、羽根毛《はねげ》のついている帽子をかぶって、むかしふうの佩剣《はいけん》をつけている人びとばかりであるのに驚かされました。そこには握りが黄金《おうごん》で出来ている長い杖をついている紳士もいます。レースの帽子をコロネット型の櫛で留めている婦人たちもいます。聖ルイスふうをした騎士たちは婦人たちに手を差しのべていると、相手の婦人たちは隈取りをした顔を扇にかくしていて、ただ白粉のついている額と、眼のふちに眼張りをしているのだけが見えるのでした。
 それらの人びとは少しの音もさせずに自分たちの席につきましたが、その動いている時、鋪石《しきいし》の上に靴の音もなければ衣《きぬ》ずれの音もないのです。低い所には、鳶《とび》色のジャケツに木綿《デイミン》の袖をつけて、青い靴下をはいている若い芸術家たちの群れが、顔を薄くあからめて伏目がちな娘たちの腰に腕をまいて親しそうに押し合っています。また、聖水《ホリーウォーター》の近くには、真紅《しんく》の袴《ペティコート》をはいて、レースのついている胸衣《むなぎ》をつけた農家の女たちが、家畜のように動かずに地面に腰をおろしています。そうかと思うと、若い者がその女たちのうしろに立って大きな眼をして見廻しながら、指先でくるくると帽子を廻したりしています。これらの悲しそうな顔つきの人たちは、何か同じ思いのために、動かずにここに集まっているようで、ある時は愉しそうに、またある時は悲しそうにみえるのでした。
 カトリーヌはいつもの席についていると、司祭は二人の役僧をしたがえて、聖餐の壇にのぼるのを見ました。どの僧もみな婆さんの識らない人ばかりで
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