異様にかがやき、その白いふくよかな腕には宝石をちりばめた腕環《うでわ》がかがやいていた。その手は妙な形をしたひょろ長いガラス罎《びん》を窓の張り出しに置いて、再びカーテンのうしろへ消えてしまった。
 それを見て、わたしは石のように冷たくなって立ち停まったが、やがて極度の愉快と恐怖とが入りまじったような感動が電流の温か味をもって、からだじゅうを流れ渡った。私はこの不思議な窓を見あげているうちに、おのずと心の奥から希望の溜め息があふれ出してきたのである。しかも再び我れにかえってみると、私の周囲には物珍らしそうな顔をして、かの窓をみあげている見物人がいっぱいに突っ立っているではないか。
 私は腹が立ったので、誰にも覚られないように、その人垣をぬけてしまった。すると、今度は常識という平凡きわまる悪魔めが私の耳のそばで、おまえが今見たのは日曜日の晴着《はれぎ》を着た金持の菓子屋のおかみさんが、薔薇《ばら》香水か何かをこしらえるために使ったあきびんを窓の張り出しに置いただけのことだとささやき始めた。考えてみると、あるいはそうかもしれない。しかもそのとたんに、非常な名案が浮かんだので、私は路《みち》を引っ返して、鏡のように磨き立てた菓子屋の店へはいった。まずチョコレートを一杯注文して、それを悠《ゆう》ゆうと飲みながら、私は菓子屋の職人に言った。
「君は隣りにうまい建物を持っているじゃあないか」
 相手は私の言葉の意味がわからないと見えて、帳場に寄りかかりながら怪訝《けげん》らしい微笑を浮かべて私を見ているので、私はあの空家を工場にしているのは悧口《りこう》なやりかただと、私の意見をくり返して言った。
「ご冗談でしょう、旦那。いったい隣りの家がわたしたちの店の物だなんて、誰からお聞きになったんです」と、職人は口を切った。
 わたしが探索の計画は不幸にして失敗したのである。しかし、この男の言葉から察すると、あの空家には何かの曰《いわ》くがあるらしいような気もするのであった。諸君は私がこの男から、かの廃宅について左のような話を聞き出して、どんなに愉快を感じたかを想像することが出来るであろう。
「わたしもよくは知りませんが、なんでもあの家はZ伯爵の持ち物だということだけはたしかです。伯爵の令嬢は当時ご領地の方に住んでいて、もう何年もここへお見えになりません。人の話を聞くと、あの家もまだ当今のような立派な建物ができない昔には、なかなか洒落たお邸で、この並木通りの名物だったそうでしたが、今じゃあもう何年となく空家同様に打っちゃらかしてあるんです。それでもあすこには、人に逢うのが嫌いだという偏屈な執事の爺《じい》さんと、馬鹿に不景気な犬がいましてね。犬の奴め、時どきに裏の庭で月に吠《ほ》え付いていますよ。世間じゃあ幽霊が出るなんて言っていますが、実のところ、この店を持っているわたしの兄貴とわたしとが、まだ人の寝しずまっている頃から起きて、菓子の拵《こしら》えにかかっていると、塀の向う側で変な音のするのを毎日聞くことがありますが、それがごろごろというように響くかと思うと、また何か掻きむしるような音がして、なんともいえない忌《いや》な心持ちがしますよ。ついこの間なども、変な声でなんだか得体《えたい》のわからない唄を歌っていました。それがたしかに婆さんの声らしいんですけれど、そのまた調子が途方もなく甲高《かんだか》で、わたしもずいぶんいろいろの国の歌い手の唄を聴いたことがありますが、今まであんな調子の高い声は聴いたことがありません。自然に身の毛がよだってきて、とてもあんな気ちがいじみた化け物のような声をいつまで聴いてはいられなかったので、よくはっきりとはわかりませんが、どうもそれがフランス語の唄のように思われました。それからまた、往来のとぎれた真夜中に、この世のものとは思われないような深い溜め息や、そうかと思うと、また気ちがいのような笑い声がきこえてくることもあるんです。なんなら、旦那。わたしの家の奥の部屋の壁に耳を当ててごらんなさい。きっと隣りの家の音がきこえますよ」
 こう言って、彼はわたしを奥の部屋へ案内して、窓から隣りを指さした。
「そこの塀から出ている煙突が見えましょう。あの煙突から時どき猛烈に煙りを噴《ふ》き出すので、どうも火の用心が悪いといって、家《うち》の兄貴がよくあの執事と喧嘩をすることがあるんです。それがまた、冬ばかりじゃあない、てんで火の気なんぞのいらないような真夏でさえもなんですからね。あの老爺《じじい》は食事の支度をするんだと言っているんです。あんな獣物《けだもの》が何を食うんだか知りませんけれど、煙突から煙りがひどく出るときには、いつでも家じゅうに変な匂いがするんですよ」
 ちょうどその時に店のガラス戸があいたので、菓子屋の職人は急
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