の最初の従者らの心を運命に従わしめたものは、おそらくアラビア砂漠の風か砂であったろう。
 このようなお化け騒ぎが、船長に対して非常に悪い影響を与えてしまった。わたしは彼の敏感な心を刺戟するのを恐れて、このばかばかしい話を隠そうと努めていたが、不幸にして彼は船員の一人がこの話をほのめかしているのを洩れ聞いて、どうしてもそれを聞こうと言い出した。そうして、わたしが予期した通り、それがために船長のいったん鎮《しず》まっていた心がまた大いに狂い出した。これが昨夜、最も批判的聡明と最も冷静なる判断とをもって、哲学を論じたその同一人とは、とうてい信ぜられなかった。彼は後甲板を檻のなかの虎のようにあちらこちらと歩き廻っている。時どきに立ち停まって、うっとりとした様子で手を突き出しながら、何かたえられないように氷の上を見入っているのである。
 彼は絶えずつぶやいている。そうして一度「ほんのちっとの間、愛して……ほんのちっとの間!」と叫んだ。
 ああ、可哀そうに。立派な海員にして教養ある紳士が、こんな境遇に落ちてゆくのを見るのは悲しいことである。また真の危険もただ生活の一刺戟に過ぎぬとしているような船長
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