き叫ぶのを見たら、おそらく君だってぞっとしたろうと思う。そうすれば、君も、ばかばかしい話だなどと、そう簡単には片付けてしまわないだろうよ」
 わたしは彼を説きつける望みはないと思って、この次にもしまた幽霊があらわれたらば、私を呼び上げてくれるように特に頼んでおくのほかはなかった。――この頼みを、彼は「そのような機会はけっして来ないように」との願いをあらわす祈りのことばをもって、ともかくも承知だけはすることになった。

       五

 わたしが望んだごとく、われわれのうしろの氷面が破れて、細い水の条《しま》が現われて来た。それが遠く全体にわたって拡がっている。今日われわれが在《あ》るところの緯度は北緯八十度五十二分で、これはすなわち氷群に南からの強い潮流がまじっていることを示すのである。風が都合よく吹きつづくならば、結氷と同じ速さでまた解氷するであろう。現在のわれわれは、煙草をふかして機会を待ち望むのほかに何事も手につかない。わたしは急激に運命論者にならんとしつつある。風や氷のような、とかく不確実な要素のものばかりを取り扱っていると、人間もしまいにはそうならざるを得ない。マホメット
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