する者もなかったがために、何かの変事が出来したのではあるまいか。
――こういう自責の念に駆《か》られながら、私は出来るだけ急いで坂路を降りて行った。
「何事が起こったのです」と、私はそこらにいる人たちに訊いた。
「信号手が、けさ殺されたのです」
「この信号所の人ですか」
「そうです」
「では、わたしの知っている人ではないかしら」
「ご存じならば、お分かりになりましょう」と、一人の男が他に代って、丁寧に脱帽して答えた。そうして、脂布のはしをあげて、「まだ顔はちっとも変わっていません」
「おお。どうしたのです、どうしてこんなことになったのです」
小屋が再びしめられると、私は人びとを交るがわるに見まわしながら訊いた。
「機関車に轢《ひ》かれたのです。英国じゅうでもこの男ほど自分の仕事をよく知っている者はなかったのですが、あるいは外線のことについていくらか暗いところがあったと見えます。時は真っ昼間で、この男は信号燈をおろして、手にランプをさげていたのです。機関車がトンネルから出て来たときに、この男は機関車の方へ背中をむけていたものですから、たちまちに轢かれてしまいました。あの男が機関手で、
前へ
次へ
全28ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング