かすか、あるいは両方ともに殺すか、とても現在の恐ろしい状態には長く堪えられないと決心したのであります。
 セラピオン師は鶴嘴《つるはし》と梃《てこ》と、提灯とを用意して来ました。そうして夜なかに、わたしたちは――墓道を進みました。その付近や墓場の勝手を僧院長はよく心得ていました。たくさんの墓の碑銘をほの暗い提灯に照らし見た末に、二人は長い雑草にかくされて、苔《こけ》がむして、寄生植物の生えている石板のあるところに行き着きました。碑銘の前文を判読すると、こうありました。
[#ここから2字下げ]
ここにクラリモンド埋めらる
在りし日に
最も美しき女として聞こえありし。
[#ここで字下げ終わり]
「ここに相違ない」と、セラピオン師はつぶやきながら提灯を地面におろしました。
 彼は梃を石板の端から下へ押し入れて、それをもたげ始めました。石があげられると、さらに鶴嘴で掘りました。夜よりも暗い沈黙のうちに、わたしは彼のなすがままに眺めていると、彼は暗い仕事の上に身をかがめて、汗を流して掘っています。彼は死に瀕した人のように、絶えだえの呼吸《いき》をはずませています。実に怪しい物すごい光景で、もし人にこれを見せたらば、確かに神に仕うる僧侶とは思われず、何か涜《けが》れたる悪漢《わるもの》か、屍衣《しい》の盗人《ぬすびと》と、思い違えられたであろうと察せられました。
 熱心なセラピオン師の厳峻と乱暴とは、使徒とか天使とかいうよりも、むしろ一種の悪魔のふうがありました。その鷲のような顔を始めとして、すべて厳酷な相貌《そうぼう》が灯のひかりにいっそう強められて、この場合における不愉快な想像力をいよいよ高めました。わたしの額には氷のような汗が大きいしずくとなって流れ、髪の毛は怖ろしさに逆立ちました。苛酷なセラピオン師は実に悪《にく》むべき涜神《とくしん》の行為を働いているように感じられ、われわれの上に重く渦巻いている黒雲のうちから雷火がひらめき来たって、彼を灰にしてしまえと、わたしは心ひそかに祈りました。
 糸杉《サイプレス》の梢に巣をくむ梟《ふくろう》は灯の光りにおどろいて飛び立ち、灰色のつばさを提灯のガラスに打ち当てながら悲しく叫びます。野狐も闇のなかに遠く啼《な》いています。そのほかにも数知れない無気味な音がこの沈黙《しじま》のうちに響いて来ました。最後にセラピオン師の鶴嘴が棺を撃つと、棺は激しい音を立てました。彼はそれをねじ廻して、蓋《ふた》を引きのけました。さてかのクラリモンドは――と見ると、彼女は大理石像のような青白い姿で、両手を組みあわせ、頭から足へかけて白い屍衣《しい》一枚をかけてあるだけでした。彼女の色もない口の片はしに、小さい真っ紅な一滴が露のように光っていました。セラピオン師はそれを見ると、大いに怒りを発しました。
「おお、悪魔がここにいる。汚《けが》れたる娼婦! 血と黄金《こがね》を吸うやつ!」
 それから彼は死骸と棺の上に聖水をふりかけて、その上に聖水の刷毛《はけ》をもって十字を切りました。哀れなるクラリモンド――彼女は聖水のしぶきが振りかかるやいなや、美しい五体は土となって、ただの灰と、なかば石灰に化した骨と、ほとんど形もないような塊《かたまり》になってしまいました。
 冷静なセラピオン師は、いたましい死灰を指さして叫びました。
「ロミュオー卿、あなたの情人をご覧なさい。こうなっても、あなたはまだこの美人とともに、リドの河畔やフュジナを散歩しますか」
 わたしは両手で顔をおおって、大いなる破滅の感に打たれました。わたしは司祭館に帰りました。
 クラリモンドの愛人として身分の高いロミュオー卿は、長いあいだ不思議な道連れであった僧侶の身から離れてしまったのです。しかもただ一度、それは前の墓ほり事件の翌晩でしたが、わたしはクラリモンドの姿を見ました。彼女は初めて教会の入り口でわたしに言ったと同じことを言いました。
「不幸なかた、ほんとうに不幸なかた……。どうしてあなたは、あんな馬鹿な坊さんの言うことを肯《き》きなすったのです。あなたは不幸でありませんか。わたしのみじめな墓を侮辱されたり、うつろな物をさらけ出されたりするような悪いことを、わたしはあなたに仕向けたでしょうか。あなたとわたしとの間の霊魂や肉体の交通は、もう永遠に破壊されてしまいました。さようなら。あなたはきっと私のことを後悔なさるでしょう」
 彼女は煙りのように消えて、二度とその姿を見せませんでした。
 ああ、彼女の言葉は真実となりました。わたしは彼女のことをいくたび歎《なげ》いたか分かりません。いまだに彼女のことを後悔しています。わたしの心はそのご落ちついて来ましたが、神様の愛も彼女の愛に換えるほどに大きくはありませんでした。

 皆さん。これはわたしの若い時の話です。けっして女を見るものではありません。戸外《そと》を歩く時は、いつでも地の上に眼をしっかりと据えて歩かなければなりません。どんなに清く注意ぶかく自分を保っていても、一瞬間のあやまちが永遠に取りかえしのつかないことになってしまうものです。



底本:「世界怪談名作集 上」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年9月4日初版発行
   2002(平成14)年6月20日新装版初版発行
※「吸血鬼《ヴァンパイヤ》」と「吸血鬼《ヴァンパイア》」の混在は底本通りにしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:大久保ゆう
2004年9月26日作成
2005年11月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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