もなく、ひざまずいて亡き人の冥福を熱心に祈り始めました。神が彼女の霊と私とのあいだに墳墓を置いて、この後《のち》わたしの祈祷のときに、死によって永遠に聖《きよ》められた彼女の名を自由に呼ぶことが出来るようにして下されたことについて、わたしはあつく感謝しました。
 しかし私のこの熱情はだんだんに弱くなって来て、いつの間にか空想に墜《お》ちていました。この室《へや》には、すこしも死人の室とは思われないところがあったのです。私はこれまでに死人の通夜にしばしば出向きまして、その時にはいつも気が滅入《めい》るような匂いに慣れていたものですが、この室では――実はわたしは女の媚《なま》めかしい香りというものを知らないのですが――なんとなくなま温かい、東洋ふうな、だらけたような香りが柔らかくただよっているのです。それにあの青白い灯の光りは、もちろん歓楽のために点《つ》けられていたのでしょうが、死骸のかたわらに置かれる通夜の黄いろい蝋燭の代りをなしているだけに、そこには黄昏《たそがれ》と思わせるような光りを投げているのです。
 クラリモンドが死んで、永遠にわたしから離れる間際《まぎわ》になって、わたしが
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