たましいをこめた、ただひとつの原稿を何かのために火に焚《や》こうとしている時でも、この時における彼女ほどには、あきらめ切れないような絶望の顔を見せないであろうと思われました。彼女の愛らしい顔にすっかり血の色が失せて、大理石よりも白くなりました。美しい二つの腕は筋肉のゆるんだように、体の両方に力なく垂れてしまいました。柔順《すなお》な足も今は自由にならなくなって、彼女は何か力と頼むべき柱をさがしていました。
わたしはといえば、これも死人のような青白い色をして、教会のドアの方へよろめいて行きましたが、あのクリストの磔刑《はりつけ》の像よりも更に血の汗を浴びて、まるで首を絞《し》められている人のように感じました。円天井はわたしの肩の上へひら押しに落ちかかって来て、わたしの頭だけでこの円天井のすべての重みを支《ささ》えているようでありました。
ちょうど、わたしが教会の閾《しきい》をまたごうとする時でした。突然に一つの手がわたしの手を握ったのです。それは女の手です。わたしはこれまでに女の手などにふれたことはありませんでしたが、その時わたしに感じたのは蛇の肌にさわったような冷たい感じで、その時
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