、瑪瑙《めのう》と大きい真珠の首飾りが首すじの色と同じ美しさで光っていて、それが胸の方に垂れていました。時どきに彼女があふれるばかりの笑いを帯びて、驚いた蛇か孔雀《くじゃく》のように顔を上げると、それらの宝石をつつんだ銀格子のような高貴な襞襟《ひだえり》が、それにつれて揺れるのでした。彼女は赤いオレンジ色のビロードのゆるやかな着物をつけていました。貂《てん》の皮でふちを取った広い袖《そで》からは、光りも透き通るほどのあけぼのの女神の指のような、まったく理想的に透明な、限りなく優しい貴族風の手を出していました。
これらの細かいことは、その時わたしが非常に煩悶していたのにかかわらず、何ひとつ逃《の》がさずに、あたかもきのうのことのように明白に思い出します。顎《あご》のところと口唇の隅にあった極めてわずかな影、額の上のビロードのようなうぶ毛、頬にうつる睫毛のふるえた影、すべてのものが、驚くほどにはっきりと語ることができるのです。
それを見つめていると、わたしは自分のうちに今まで閉《と》じられていた門がひらくのを感じました。長い間さえぎられていた口があいて、すべてのものが明らかになり、今まで知らなかった内部のものが見えるようになったのです。人生そのものがわたしに対して新奇な局面をひらきました。わたしは新しい別の世界、いっさいが変わっているところに生まれて来たと思ったのです。恐ろしい苦悩が赤く灼《や》けた鋏《はさみ》をもって、わたしの心臓を苦しめ始めました。絶え間なく続いている時刻がただ一秒のあいだかと思われると、また一世紀のように長くも思われます。
そのうちに儀式は進んでゆく。わたしはその時、山でも根こぎにするほどの強い意志の力を出して、わたしは僧侶などになりたくないと叫び出そうとしましたが、どうしてもそれが言えないのです。わたしは自分の舌が上顎《うわあご》に釘づけにでもなったくらいで、いや[#「いや」に傍点]だというい[#「い」に傍点]の字も言うことができなかったのです。それはちょうど夢におそわれた人が命がけのことのために、なんとかひと声叫ぼうとあせっても、それができ得ないのと同じことで、わたしは現在目ざめていながらも叫ぶことが出来なかったのです。
彼女はわたしが殉道に身を投じてゆく破目《はめ》になるのを知って、いかにも私に勇気づけるように、力強い頼みがいのある顔
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