注意ぶかく飲むのでした。その瞳《ひとみ》はだんだんに半ばとじられて、緑色の眼の円《まる》い瞳孔《ひとみ》が楕円形にかわって来ました。彼女は時どきにわたしの手に接物するために、血を吸うことをやめましたが、さらに赤い血のにじみ出るのを待って、傷に口唇《くちびる》を持っていくのでした。血がもう出ないのを知ると、彼女の眼は瑞《みず》みずしく輝いて、五月の夜明けよりも薔薇色になって起《た》ち上がりました。顔の色も生きいきとして、手にも温かいうるみが出て、今までよりもさらに美しく、まったく健康体のようになっているのです。
「わたしは死なないわ、死なないわ」と、彼女は半気ちがいのようになって、わたしの頸《くび》にかじりついて叫びました。
「わたしはまだ長い間あなたを愛することが出来るわ。わたしの生命《いのち》はあなたのものです。わたしのからだはすべてあなたから貰ったのです。あなたの尊い、高価な、この世界にあるどの霊薬よりも優れて高価な血のいく滴が、わたしの生命を元の通りにしてくれたのですわ」
 この光景は永く私をおびやかして、クラリモンドについては不思議な疑問を起こさせました。その夜、わたしが寝床にはいると、睡眠は私を誘い出して、むかしの司祭館に連れ戻しました。わたしはセラピオン師が今までよりもいっそう厳粛な不安らしい顔をしているのを見ました。彼は私をじっと見つめていましたが、やがて悲しそうに叫びました。
「あなたは魂を失うばかりではない、今はその身をも失おうとしている。堕落した若い人は、実に恐ろしいことになっている」
 その言葉の調子は私を強く動かしました。しかしその時の印象がまざまざとしていたにもかかわらず、それもすぐに私から消えていって、ほかのさまざまな考えも皆わたしの心から去ってしまいました。

       六

 とうとうある晩のことでした。わたしが鏡を見ていると、その鏡に彼女の姿が映っていることを覚《さと》らずに、クラリモンドはいつも二人の食卓のあとで使うことにしている、薬味《やくみ》を入れた葡萄酒の盃のなかに、何かの粉を入れているのです。それが鏡に映ったので、わたしは盃を手にとって、口のところに持ってゆく真似をして、そばにある器物の上に置きました。彼女がうしろを向いたときに、私はその盃のものをテーブルの下にそっとこぼして、それから自分の部屋に帰って寝床についたので
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