むち》を持っていましたが、その笛で軽くわたしを叩いて言いました。
「まあ、お寝坊さんね。これがあなたのご用意なのですか。もう起きて、着物をきていらっしゃると思っていましたのに……。早く起きて頂戴よ。もう時間がありませんわ」
わたしはすぐ寝台から飛びあがりました。
「さあ、ご自分で着物をお着なさい。行きましょうよ」と、彼女は自分が持って来た小さい荷造りを見せながら言いました。「ぐずぐずしているから馬がじれて、戸をぼりぼりと噛みはじめましたわ。もう今までに三十マイルも遠く行けましたのに……」
わたしは急いで服をつけにかかりますと、彼女は一つ一つに服を渡して、わたしの不器用な手つきを見ては笑いこけたり、わたしが間違うと、その着方を教えてくれたりしました。彼女はさらに私の髪を急いでととのえてくれて、ふところからふちに金銀線の細工がしてある、ヴェニスふうの小さい水晶の鏡を出して、芝居気たっぷりに、「お気に召しましたでしょうか。あなたの侍女《こしもと》にして下さりませ」などと訊いたりしました。
わたしはもう以前と同じ人間ではなく、自分ではないくらいに変わり果てました。立派に出来あがった石像とただの石ころほどに変わってしまいました。わたしはまったく美男子になり済まして、なんだか擽《くすぐ》ったいような心持ちになりました。上品な服装、贅沢にふちを取った胸着は、まるでわたしを違った人間にしてしまい、縞柄のついた二、三ヤードの布でこしらえただけのものが、こんなにも人の姿を変えるものかと驚きました。衣服が変わると、わたしの皮膚の色まで変わって、わずか十分というあいだに相当の伊達者《だてしゃ》のようになったのです。
わたしはこの新しい服を着馴らすために室内を歩き廻りました。クラリモンドは母のような喜びをもって私をながめて、自分の仕事に満足したように見えました。
「さあ、このくらいにして出かけましょうよ。遠い所へ行かなければなりませんから……。さもないと時間通りに行き着きませんわ」
彼女はわたしの手を取って出ました。すべてのドアは、彼女が手を触れると開きました。わたしたちは犬のそばを眼を醒まさせないで通りぬけたのです。門のところにマルグリトーヌが待っていました。さきに私を迎えに来た浅黒い男です。彼は三頭の馬の手綱をとっていましたが、馬はいずれもさきに城中へ行った時と同じ黒馬で、一頭
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