、私はかれらに対抗するという一点にわたしの心力を集中して、かの蟒蛇《うわばみ》のような眼――それはだんだんにはっきりと見えて来た――から私の眼をそむけた。わたしの周囲にはもう何物もいないのであるが、ここになお一つの「意志」がある。それは力強く、創造的で、かつ活動力に富むところの「悪」の意志であって、その力はよく私を圧伏《あっぷく》し得るのであった。
 部屋のなかの青白い空気は、今や近火でもあるように紅《あか》くなって、かの幼虫の群れは火のなかに棲《す》む物のようにきらきらと光って来た。月のひかりはふるえて動いた。物を撃つような音がまたもや三度きこえたかと思うと、すべての物がかの黒い影に呑まれて、さらにまた大いなる暗黒《くらやみ》のうちに隠れてしまったが、やがてその暗黒が退《の》くと共に、黒い影もまったく消え失せて、今まで光りを奪われていたテーブルの上の蝋燭の火は再びしずかに明かるくなった。爐の火も再び燃えはじめた。この室内は再びもとの平穏の姿に立ちかえった。
 二つのドアはなおしまったままで、Fの部屋へ通ずるドアにも錠をおろしてあった。壁の隅には、かの犬が追い込まれて、痙攣《けいれん》
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