奥さんは言う。わたしも勿論そのつもりであるので、そこに居据わっていろいろの話をはじめた。日露戦争後の満洲の噂も出た。そのうちに、奥さんはこんなことを言い出した。
「満洲と台湾とは、まるで土地も気候も違うでしょうけれど、知らない国へ行くと思いも付かないことに出逢うものですね。あなたも御存じでしょう、三好透さん……。あの人は飛んだことになりましてね。」
 旧い記憶が俄かにわたしの胸によみがえった。
「三好透……。あの多代子さんの兄さんでしょう。あの人がどうかしたんですか。」
「大学を卒業してから、台湾へ赴任したのですが、去年の六月、急に亡くなりました。」
「マラリアにでも罹《か》かったんですか。」
「いいえ。毒蛇のハブに咬まれて……。」
「ハブに咬まれて……。」
 わたしは物に魘《おそ》われたような心持で、奥さんの顔を見つめた。それを一種の不運とか奇禍《きか》とか言ってしまえばそれ迄であるが、マラリアに罹かったとか、蕃人に狙撃されたとか、水牛に襲われたとかいうのではなくして、彼が毒蛇のために生命《いのち》を奪われたということが、何かの因縁であるように私の魂をおびやかした。青い蛇の旧い記憶が
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