へ廻ろうと思っていたのであるが、会社へ出るとやはり何かの用に捉えられて、午前十一時ごろにようよう自由の身になった。きょうは何だか気が急《せ》くので、わたしは人車《くるま》に乗って根津へ駈けつけると、先生はもう学校へ出た留守であった。それは最初から予想していたので、わたしは二階へ通されて奥さんに会った。
「ゆうべはあれからどうなりました。」と、わたしはまず訊いた。
「あなたが帰ってから三十分ほどして、良人《うち》は帰って来ました。」
「透君はそれまで待っていたんですか。」
「待っていました。」と、奥さんはうなずいた。「それがおかしいのですよ。あなたも御承知の通り、透さんは大変な権幕で、あしたにも多代子さんを引摺って帰るような勢いでしたろう。ところが、良人が帰って来て、桐沢さんとこういう相談を決めて来たから、そう思いたまえ。もし不服ならば、桐沢さんのところへ行って何とでも言いたまえと言って聞かせると、透さんは急におとなしくなって、別に苦情らしいことも言わないで、そのまま無事に帰ってしまったのです。」
奥さんが更に説明するところによると、先生は桐沢氏と相談の結果、この夏休みに多代子は帰省す
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