ろに親戚があるので、自分の畑から唐蜀黍を取り、Kの町へ出て来て蟹《かに》の缶詰を買い、それらを土産にしてこれから親戚をたずねようとするのであった。勿論、蛇などを持って来る筈《はず》がない。こんな小さな蛇は親戚の村にもたくさんに棲んでいると、彼は言った。
農村の者が農村の親戚を訪問するのに、こんな蛇などをわざわざ手みやげに持って行く筈がない。一尺ぐらいに過ぎない蛇であるから、おそらくその唐蜀黍と一緒にまぎれ込んで来たものであろうとは、誰にも想像されるところである。殊に飛んでもない人騒がせをしたことを、非常に恐縮しているらしい彼のおとなしい態度が諸人の感情をやわらげた。
「そうすると、畑からまぎれ込んだのを、あなたも知らなかったのですね。では、まあ、仕方がない。早く外へ捨てて下さい。」
「はい、はい。」と、男はあやまるように頭を下げた。
「早くして下さい。もう直ぐに停車場へ着きますから。」と、車掌は催促した。
男は農家の人だけに、こんな蛇をなんとも思っていないらしく、無雑作《むぞうさ》にその尾をつかんで窓の外へ投げ出すと、車内の人々は安心したように息をついた。
「どうもまことに相済みません。」と、男は人々にむかって又もや頭を下げた。「どうしてあんな物が這《は》い込んだのか、実に不思議でございます。これからは気をつけます。どうかまあ御勘弁を願います。」
言ううちに、列車はもうFの駅に着いたので、男は又くり返して詫びながら早々に降りてゆくと、それと入れちがいに、この車内へ乗込んで来たのは学生らしい若い男と娘の二人連れで、わたしの向うの空席に腰をおろした。わたしはここで例の弁当を買おうかと思ったが、岡山駅まで待つことにしていると、列車はやがてゆるぎ出した。
「いや、どうも飛んだお茶番でしたね。」と、東京の商人らしい乗客の一人が笑いながら言った。
「蛇となると、小さいのでも気味の好くないもんですよ。」と、隣りにいる一人が答えた。
「まったくあの風呂敷包みがころげ落ちて、唐蜀黍のあいだから蛇の出た時にはぞっ[#「ぞっ」に傍点]としました。」と、その前にいる女も言った。
蛇の噂《うわさ》が一としきり車内を賑わした。あの男は実際なんにも知らないらしい。あの男があんまり恐れ入ってあやまるので、しまいには気の毒になって来たなどという者もあった。新しく乗込んで来た男と娘は、熱心にそ
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