君に誘われて我と共に雑司《ぞうし》ヶ|谷《や》の鬼子母神《きしもじん》に詣でしことあり。その帰途、柳下孤村君の家を訪いしに、孤村君は英一のために庭に熟せる柿の実を取って遣《や》らんという。梢高ければ自ら登るは危しとて、店の小僧に命じて取らするに、小僧は猿のごとくにするすると梢まで攀《よ》じ登りて、孤村君が指図するままに、そこの枝かしこの枝を折りて樹の上よりばらばらと投げ落せば、英一よろこびて拾う。その時のありさま今もありありと眼に残れり。しかも主人の孤村君は今年八月の芙蓉咲く夕に先《ま》ず逝《ゆ》き、それより一月あまりにして英一もまたその跡を追う。今年の雑司ヶ谷の秋やいかにと思いやれば、重き頭もいよいよ枕に痛む。
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柿の実の紅きもさびし雑司ヶ谷
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二十九日、英一の三七日、家内の者ども墓参にゆくこと例のごとし。
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渡り鳥仰ぐに痛き瞳かな
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白木の位牌を取り納めて、英一の戒名を過去帳に写す。戒名は一乗英峰信士、俗名石丸英一、十八歳、大正九年十月九日寂。書き終りて縁に立てば、午後より陰りかかりし秋の空の低く垂れたり。
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魂よばひ達かぬものか秋の空
わが仏ひとり殖えたり神無月
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この夕、少しく調ぶることありて、熊谷陣屋の浄瑠璃本をとり出して読む。十六年は一昔、ああ夢だ夢だの一節も今更のように身にしみてぞ覚ゆる。わが英一は熊谷の小次郎に二つましたる命なりき。
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十六年十八年や秋の露
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三十日、所用ありて浅草の近所まで出《い》で行きたれど、混雑のなかに立ちまじるも楽しからねば公園へは立寄らずして帰る。その帰途、電車の中にてつくづく思うに、われは今日まで差したる不幸にも出で逢わず、よろず順調に過ぎゆきて、身の幸運を誇りいたるに、測らずも英一の死によりて限りなき苦痛を味うこととなりたり。あまりに女々しとは思いながらも、哀傷の情いまだ癒《い》えがたきを如何にすべきか。
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唐がらし鬼に食はせて涙かな
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家に帰れば、留守の間に経師屋《きょうじや》来りて、障子を貼りかえてゆく。英一のありし部屋、俄《にわか》に明るくなりたるように見ゆるもかえって寂し。
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小春日や障子に人の影も無く
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十一月二日、明治座の初日、わが作『小栗栖《おぐるす》の長兵衛』を上場するに付、午頃より見物にゆく。英一世にあらば、僕も立見に行こうなどいうならんかと思いやれば、門を出でんとしてまた俄に涙を催す。
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顔見世に又出して見る死絵かな
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五日、英一の四七日、午後よりかさねて青山にまいる。哀慕の情いよいよ切なり。
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わが涙凝つて流れず塚の霜
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その帰途、青山通りの造花屋にて白菊一枝を買い来りて仏前にささぐ。まことの花にては、その散り際にまたもや亡き人の死を思い出ずるを恐れてなり。
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散るを忌みて造花の菊を供へけり
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大阪の大西一外君と尾張の長谷川水陰君より遠く追悼の句を寄せらる。
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行秋やそのまぼろしの絵を思ふ 一外
秋風や樹下に冷たき石一つ 同
虫は草に秋のゆくへをすだく哉 水陰
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底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「十番随筆」新作社
1924(大正13)年4月初版発行
初出:「木太刀」
1920(大正9)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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