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この日、額田六福《ぬかだろっぷく》の郷里よりも霊前にとて松茸一籠を送り来る。
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初七日や松茸飯に豆腐汁
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家内の者ども打連れて青山へ墓参にゆく。この夕、眠られず。
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こほろぎや人になかせて夜もすがら
憎い奴め叔父を案山子に残せしよ
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十六日、午後より青山へ墓参にゆく。うららかに晴れたる日なり。英一の墓前には大村嘉代子が美しき草花を供えてあり。その花の香を慕いて、弱れる蝶一つたよたよと飛ぶ。
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なくは我なかぬおのれや秋の蝶
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十八日、英一の机本箱を整理す。書きさしの下絵などを見出すにつけて、また新しき涙を誘わる。形見としてその二つ三つを取納め、余は引き裂きて庭に持ち出で、涙の種をことごとく烟とす。
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かき寄せて焚くや紅絵の散紅葉
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十九日、庭の立木に蝉の止まりて動かぬを見る。試みに手を触るればからからと音して地に墜ちたり。かれは已《すで》に殻ばかりとなりけるよと思うにつけて、英一の死のまた今更に悲しまる。
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地に墜ちて殻ばかりなり秋の蝉
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二十四日、嫩会の人々打ちつれて青山へまいる。きょうも晴れたれど朝寒し。
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八人の額に秋の寒さかな
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その帰途、人々と共に代々木の練兵場をゆきぬけて、浄水所の堤に出づ。ここらは英一が生前しばしば来りてスケッチなどしたる所なり。その踏み荒したる靴の跡はそこかここかと尋ぬるも甲斐《かい》なし。堤の秋草さびしく戦《そよ》ぎて、上水白く流れゆく。
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足あとを何処にたづねん草紅葉
逝くものを堰き止め兼ねつ秋の水
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二十五日、所用ありて上野までゆく。落葉をふみて公園をめぐるに、美術学校の生徒らしきが画架など携えてゆくを見る。英一も健《すこや》かならば、来年はかくあるべきものをと、またしても眼瞼《まぶた》の重きをおぼゆ。
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払へども落葉の雨や袖の上
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二十六日、今夜も眠られず。臥《ふ》しながら思うに、大正元年の秋、英一がまだ十歳なりける時、大西一外
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