菖蒲の前は豆州《ずしゅう》長岡に生れたので、頼政滅亡の後、かれは故郷に帰って河内村の禅長寺に身をよせていた。そのあいだに折々ここへ来て入浴したので、遂にその湯もあやめの名を呼ばれる事になったのであると。もし果してそうならば、猪早太《いのはやた》ほどにもない雑兵《ぞうひょう》葉武者《はむしゃ》のわれわれ風情が、遠慮なしに頭からざぶざぶ浴びるなどは、遠つ昔の上臈《じょうろう》の手前、いささか恐れ多き次第だとも思った。おいおいに朝湯の客が這入って来て、「好い天気になって結構です」と口々にいう。なにさま外は晴れて水は澄んでいる。硝子戸《ガラスど》越しに水中の魚の遊ぶのが鮮かにみえた。
朝飯をすました後、例の範頼の墓に参詣《さんけい》した。墓は宿から西北へ五、六町、小山というところにある。稲田や芋畑のあいだを縫いながら、雨後のぬかるみを右へ幾曲りして登ってゆくと、その間には紅《あか》い彼岸花がおびただしく咲いていた。墓は思うにもまして哀れなものであった。片手でも押し倒せそうな小さい仮家で、柊《ひいらぎ》や柘植《つげ》などの下枝に掩《おお》われながら、南向きに寂しく立っていた。秋の虫は墓にのぼっ
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