では縋りて泣く。夜叉王は答えず、思案の眼を瞑《と》じている。日暮れて笛の声遠くきこゆ。)
[#ここで字下げ終わり]
第二場
[#ここから2字下げ]
おなじく桂川のほとり、虎渓橋《こけいきょう》の袂。川辺には柳|幾本《いくもと》たちて、芒《すすき》と芦《あし》とみだれ生いたり。橋を隔てて修禅寺の山門みゆ。同じ日の宵。
(下田五郎は頼家の太刀を持ち、僧は仮面《めん》の箱をかかえて出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
五郎 上様は桂どのと、川辺づたいにそぞろ歩き遊ばされ、お供のわれわれは一足先へまいれとの御意であったが、修禅寺の御座所ももはや眼のまえじゃ。この橋の袂《たもと》にたたずみて、お帰りを暫時相待とうか。
僧 いや、いや、それはよろしゅうござるまい。桂殿という嫋女《たおやめ》をお見出しあって、浮れあるきに余念もおわさぬところへ、われわれのごとき邪魔|外道《げどう》が附き纏《まと》うては、かえって御機嫌を損ずるでござろうぞ。
五郎 なにさまのう。
[#ここから2字下げ]
(とは言いながら、五郎はなお不安の体にてたたずむ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
僧 ことに愚僧はお風呂《ふろ》の役、早う戻《もど》って支度をせねばなるまい。
五郎 お風呂とておのずと沸いて出づる湯じゃ。支度を急ぐこともあるまいに……。まずお待ちゃれ。
僧 はて、お身にも似合わぬ不粋をいうぞ。若き男女《おとこおうな》がむつまじゅう語ろうているところに、法師や武士は禁物じゃよ。ははははは。さあ、ござれ、ござれ。
[#ここから2字下げ]
(無理に袖をひく。五郎は心ならずも曳かるるままに、打ち連れて橋を渡りゆく。月出づ。桂は燈籠を持ち、頼家の手をひきて出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
頼家 おお、月が出た。河原づたいに夜ゆけば、芒にまじる芦の根に、水の声、虫の声、山家《やまが》の秋はまたひとしおの風情《ふぜい》じゃのう。
かつら 馴《な》れてはさほどにもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事変りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂しゅうござりましょう。
[#ここから2字下げ]
(頼家はありあう石に腰打ちかけ、桂は燈籠を持ちたるまま、橋の欄に凭《よ》りて立つ。
前へ
次へ
全18ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング