えてもみる。その中《うち》に日が暮れる、秋風が寒くなる。振返って見ると、修禅寺の山門は真暗《まっくら》である。私は何とも知れぬ悲哀を感じて悄然《しょんぼり》と立っていました。その時にふと思い付いたのが、この『修禅寺物語』です。
全体、かの仮面《めん》は、名作か凡作か、素人《しろうと》の我々にはちっとも判りませんが、何でも名人の彫った名作でなければならぬ。その面作師《おもてつくりし》というのは、どんな人であったろう。そんな事を考えている中《うち》に、白髪《しらが》の老人が職人尽《しょくにんづくし》にあるような装《なり》をして、一心に仮面《めん》を彫っている姿が眼に泛《うか》ぶ。頼家の姿が浮ぶ。修禅寺の僧が泛ぶ……というような順序で、漸々《だんだん》に筋を纏《まと》めて行く中《うち》に、二人の娘や婿が自然に現われる事になったのです。しかし作の上では、面作師の夜叉王と姉娘の桂とが、最も主要の人物として働いて、頼家は二の次になってしまいました。
そんな訳《わけ》ですから、全部架空の事実で、頼家の仮面《めん》……ただそれだけが捉《つかま》え所で、他《ほか》には何の根拠もないのです。この仮面《めん》一個《ひとつ》が中心となって、芸術本位の親父《おやじ》や、虚栄心に富んだ近代式の娘などが作り出される事になったので……狂言の種を明せばそれだけです。頼家の最期は故《わざ》と蔭にしました。
仮面《めん》の事は私もよく知りませんが、藤原時代から鎌倉時代にかけて、十人の名人があって、世にこれを十作《じっさく》と唱えます。夜叉というのはその一人《いちにん》で、実は越前大野郡《えちぜんおおのごおり》の住人ですが、夜叉という名が面白いのでちょっとここへ借用しました。この夜叉王は徹頭徹尾《てっとうてつび》芸術本位の人で、頼家が亡びても驚かず、娘が死んでも悲《かなし》まず、悠然として娘の断末魔《だんまつま》の顔を写生するというのが仕所《しどこ》で、最初《はじめ》から左団次を狙って書いたのですから多分巧く演《や》ってくれるだろうと思います。
姉娘を演《す》る優《ひと》のないには困りました。源之助で不可《いけず》、門之助で不可、何分にも適当の優《ひと》が見当らないので、結局|寿美蔵《すみぞう》に廻りましたが、本来は宗之助か秀調《しゅうちょう》という所でしょう。寿美蔵は飛《とん》だ加役を引受けて気
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