に将軍家の台所用の野菜や西瓜、真桑瓜のたぐいを作っている。またその附近に広い芝生があって、桜、桃、赤松、柳、あやめ、つつじ、さくら草のたぐいをたくさんに植えさせて、将軍がときどき遊覧に来ることになっている。このときの御成も単に遊覧のためで、隅田のながれを前にして、晩春初夏の風景を賞《め》でるだけのことであったらしい。
旧暦の四月末といえば、晩春より初夏に近い。きょうは朝からうららかに晴れ渡って、川上の筑波もあざやかに見える。芝生の植え込みの間にも御茶屋というものが出来ているが、それは大きい建物ではないので、そこに休息しているのは将軍と少数の近習だけで、ほかのお供の者はみな木母寺の方に控えている。大原右之助は二十二歳で御徒士《おかち》組の一人としてきょうのお供に加わって来ていた。かれは午飯《ひるめし》の弁当を食ってしまって、二、三人の同輩と梅若塚のあたりを散歩していると、近習頭《きんじゅがしら》の山下三右衛門が組頭同道で彼をさがしに来た。
「大原、御用だ。すぐに支度をしてくれ。」と、組頭は言った。
「は。」と、大原は形をあらためて答えた。「なんの御用でござります。」
「貴公。水練《すい
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