の怪談は九尾の狐ばかりでなく、大抵は三国伝来で、日本固有のものは少ないのであるから、これも何か支那の小説か伝説がわが国に移植されたものではないかとも想像されるが、出所が判然《はっきり》しないので確かなことは云えない。
 さて、それから芝居の方であるが、これは専門家の渥美さんに訊いた方がいい。現にわたしも渥美さんに教えられて、初代並木五瓶作の「袖簿播州廻《そでにっきばんしゅうめぐり》」をくりかえして読んだ。角書《つのがき》にも姫館妖怪《ひめやかたようかい》、古佐壁忠臣《こさかべちゅうしん》と書いてあるのをみても、かの小坂部を主題としていることはわかる。二つ目の姫ヶ城門前の場とその城内の場とが即ちそれであるが、この狂言では桃井家の後室|碪《きぬた》の前がこの古城にかくれ棲み、妖怪といつわって家再興の味方をあつめるという筋で、若殿陸次郎などというのもある。これは淀君と秀頼とになぞらえたもので、小坂部の怪談に託して豊臣滅亡後の大坂城をかいたのである。現に大坂城内には不入《いらず》の間があって、そこには淀君の霊が生けるがごとくに棲んでいるなどと伝えられている。それらを取り入れて小坂部の狂言をこしらえあげたと云うのは、作者が大坂の人であるのから考えても容易に想像されることである。しかし、ともかくも小坂部というものを一部の纏まった狂言に作ってあるのは、この脚本のほかには無いらしい。これは安永八年三月、大坂の角の芝居に書きおろされたものである。
 尾上家でそれを家の芸としているのいうのは、かの尾上松緑から始まったのであるが、一体それはどういう狂言であるか判っていない。他の通し狂言のなかに一幕はさみ込まれたもので、取り立ててこれぞというほどの筋のあるものではないらしい。しかし江戸では松緑の小坂部が有名であったことは、「復再松緑刑部話《またぞろしょうろくおさかべばなし》」などという狂言のあるのを見ても知られる。この狂言は例の四代目鶴屋南北の作で、文化十一年五月に森田座で上演している。すでに「復再」と名乗るくらいであるから、その以前にもしばしば好評を博していたものと察しられるが、それがわからない。明治三十三年の正月、歌舞伎座の大切浄瑠璃「闇梅《やみのうめ》百物語」で五代目菊五郎が小坂部をつとめた時にも、家の芸だというのでいろいろに穿索したそうであるが、一向に手がかりがないので、古い番附面の絵すがたを頼りに、三代目河竹新七が講釈種によって劇に書きおろしたのであった。今度もわたしは尾上松助老人について何か心あたりは無いかと訊いてみたが、老人もやはりかの歌舞伎座当時の話をして、自分も多年小坂部の名を聴いているだけで、その狂言については何にも知らないと云っていた。
 小坂部の正体が妖狐で、十二ひとえを着て姫路の古城の天主閣に棲んでいて、それを宮本|無三四《むさし》が退治するというのが、最も世間に知られている伝説らしく、わたしは子供のときに寄席の写し絵などで幾度も見せられたものである。こんなことを書いていながらも、一種今昔の感に堪えないような気がする。
 そういうわけで、芝居の方では有名でありながら、その狂言が伝わっていない。そこを付け目にして、わたしは新しく三幕物に書いて見たのであるが、何分にも材料が正確でないので、まずいろいろの伝説を取りあわせて、自分の勝手に脚色したのである。
 松緑のも菊五郎のも、小坂部の正体を狐にしているのであるが、狐と決めてしまうのはどうも面白くないと思ったので、わたしは正体を説明せず、単に一種の妖麗幽怪な魔女ということにして置いた。したがって、あれは一体何者だと云うような疑問が起こるかも知れないが、それは私にも返答は出来ない。くどくも云う通り、昔は播州姫路の城内にああいう一種の魔女が棲んでいて、ああいう奇怪な事件が発生したのだと思って貰いたい。又、その以上には御穿索の必要もあるまいと思っている。
 今度の上演について、おそらく此の小坂部の身許しらべが始まるだろうと思われるから、ちょっと申し上げておく。[#地から2字上げ](大正一四・二・演芸画報)

[#地付き](昭和三十一年二月、青蛙房刊『綺堂劇談』所収「甲字楼夜話」より)



底本:「伝奇ノ匣2 岡本綺堂妖術伝奇集」学研M文庫、学習研究社
   2002(平成14)年3月29日初版発行
底本の親本:「綺堂劇談 甲字楼夜話」青蛙房
   1956(昭和31)年2月
初出:「演芸画報」
   1925(大正14)年2月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2008年9月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング