ゆうべは杭州の旅館に泊って、きょうは西湖を遊覧する予定になっていたのであるから、空模様のすこし怪しいのを覚悟の上で、いわゆる画舫なるものに乗って出ると、果して細かい雨がほろほろと降りかかって来た。水を渡ってくる秋風も薄ら寒い。型のごとくに蘇小《そしょう》小の墳《ふん》、岳王《がくおう》の墓《ぼ》、それからそれへと見物ながらに参詣して、かの楼外楼の下に画舫をつないだ頃には、空はいよいよ陰《くも》って来た。さして強くも降らないが、雨はしとしとと降りしきっている。漢詩人ならば秋雨|蕭々《しょうしょう》とか何とか歌うべきところであろうが、我れわれ俗物は寒い方が身にしみて、早く酒でも飲むか、温かい物でも食うかしなければ凌がれないというので、船を出ると早々にかの飯館に飛込んでしまったのである。
 酒をのみ、肉を食って、やや落ちついた時にK君はおもむろに言い出した。
「君は上海で芝居をたびたび観たろうね。」
 わたしが芝居好きであることを知っているので、K君はこう言ったのである。私はすぐにうなずいた。
「観たよ。シナの芝居も最初はすこし勝手違いのようだが、たびたび観ていると自然におもしろくなるよ。」
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