扮装をして舞台に出てみろ、そうして、その幽霊のようなものが再び現れたらば、ここの役所へ連れて来いと命令した。」
「幽霊を連れて来いは、無理だね。」
「もちろん無理だが、そこがシナのお役人だ。」と、K君は笑った。「俳優も困ったらしい顔をしたが、お役人の命令に背《そむ》くわけにはいかないから、ともかくも承知して帰って、再び包孝粛の芝居をはじめると、幽霊はまた出て来た。そこで俳優は怖《こわ》ごわながら言い聞かせた。おれは包孝粛の姿をしているが、これは芝居で、ほんとうの人物ではない。おまえは何か訴えることがあるなら、役所へ出て申立てるがよかろう。行きたくばおれが案内してやると言うと、その幽霊はうなずいて一緒について来た。そこで、県署へ行って堂に登ると、県令はどうしたと訊く。あの通り召連れてまいりましたと堂下を指さしたが、県令の眼にはなんにも見えない。県令は大きい声で、おまえは何者かと訊いたが、返事もきこえない。眼にもみえず、耳にもきこえないのであるから、県令は疑った。彼は俳優にむかって、貴様は役人をあざむくのか、その幽霊はどこにいるのかと詰問する。いや、そこにおりますと言っても、県令には見えない。俳優もこれには困って、なんとか返事をしてくれと幽霊に催促すると、幽霊はやはり返事をしない。しかし彼は俄かに立上がって、俳優を招きながら門外へ出て行くらしいので、俳優はそれを県令に申立てると、県令は下役ふたりに命じてその跡を追わせた。幽霊のすがたは俳優の眼にみえるばかりで、余人《よじん》には見えないのであるから、俳優は案内者として先に立って行くと、幽霊は町を離れて野道にさしかかる。そうして、およそ数里、日本の約一里も行ったかと思うと、やがて広い野原に行き着いて、ひとつの大きい塚の前で姿は消えた。その塚は村で有名な王家の母の墓所であることを確かめて、三人は引っ返して来た。」
「幽霊は男だね。」と、わたしはまた訊いた。「男の幽霊が女の墓にはいったというわけだね。」
「それだから少しおかしい。県令はすぐに王家の主人を呼出して取調べたが、なんにも心当りはないと答えたので、本人立会いの上でその墓を発掘してみると、土の下から果して一人の男の死体があらわれて、顔色《がんしょく》生けるが如くにみえたので、県令はさてこそという気色《きしょく》でいよいよ厳重に吟味したが、王はなかなか服罪しない。自分は決
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