その蘇小小の霊が墓のなかから抜け出して、李をここへ誘ってきたというのだ。つまり、蘇小小が李香という俳優に惚れて、その魂が仮りに姿をあらわして、たくみに李を誘惑して、共に冥途へ連れて行ったというわけだ。剪燈新話《せんとうしんわ》や聊斎志異《りょうさいしい》がひろく読まれている国だから、こういう想像説も生れて来そうなことさ。相手がいよいよ幽霊ときまれば、どうにも仕様がない。船頭がいう通りに、果して凄いほどの美人であるとすれば、あるいは蘇小小の霊かも知れない。そこで李が美人の霊魂にみこまれて、その墓へ誘い込まれたとなれば、いかにも詩的であり、小説的であり、西湖佳話に新しい一節を加《くわ》うることになるのだが、さすがに役人たちはそれを詩的にばかり解釈することを好まないので、それぞれに手をわけて詮議をはじめると、李はその夜ばかりでなく、すでに二、三度もその怪しい美人と外出したらしいということが判った。彼は芝居が済んでから旅宿をぬけ出して、夜の更けるまで何処かをさまよい歩いて来る。今から考えれば、その道連れがかの美人であったらしいと、同宿の一座の者から申立てた。そうなると、かの船頭ばかりでなく、李がかの美人と歩いていたのを俺も見たという者が幾人も現れて来た。中には美人が笛を吹いていたなどという者もあって、この怪談はいよいよ詩的になって来たが、どこまで本当だか判らないので、役人はともかくその美人の正体を突き留めようと苦心していた。座頭《ざがしら》の李香がいなくなっては芝居を明けることは出来ない。無理に明けたところで観客の来る筈もない。座頭を突然にうしなったこの一座はほとんど離散の悲境に陥ってしまったが、何分にもこの一件が解決しない間は、むやみにここを立去ることも出来ないので、一座の者は代るがわるに呼出されて、役人の訊問を受けていた。実に飛んだ災難だが、どうも仕方がない。」
「一体、その李というのは幾つぐらいで、どんな男なのだね。」と、わたしは一種の探偵的興味に誘われてまた訊いた。
「年は三十四、五で、まだ独身であったそうだ。たとい田舎廻りにもしろ、ともかくも座頭を勤めているのだから、背もすらりとして男振りも悪くない。舞台以外にはどちらかいうと無口の方で、ただ黙って何か考えているという風だったと伝えられている。しかし相当に親切の気のある男で、座員の面倒も見てやる。現に自分の子ともつ
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