ると、末広座の前にはアーチを作っている。劇場の内にも大勢の職人が忙がしそうに働いている。震災以来、破損のままで捨て置かれたのであるが、来年の一月からは明治座と改称して松竹合名社の手で開場し、左団次一座が出演することになったので、俄《にわか》に修繕工事に取りかかったのである。今までは繁華の町のまん中に、死んだ物のように寂寞《じゃくまく》として横《よこた》わっていた建物が、急に生き返って動き出したかとも見えて、あたりが明るくなったように活気を生じた。焚火の烟《けむり》が威勢よく舞いあがっている前に、ゆうべは夜明しであったと笑いながら話している職人もある。立ち停まって珍らしそうにそれを眺めている人たちもある。
 足場をかけてある座の正面には、正月二日開場の口上《こうじょう》看板がもう揚《あ》がっている。二部興行で、昼の部は『忠信の道行』、『躄《いざり》の仇討』、『鳥辺山心中』、夜の部は『信長記《しんちょうき》』、『浪花の春雨』、『双面《ふたおもて》』という番組も大きく貼り出してある。左団次一座が麻布の劇場に出勤するのは今度が始めである上に、震災以後東京で興行するのもこれが始めであるから、その前景気は甚だ盛で、麻布十番の繁昌にまた一層の光彩を添えた観がある。どの人も浮かれたような心持で、劇場の前に群れ集まって来て、なにを見るともなしにたたずんでいるのである。
 私もその一人であるが、浮かれたような心持は他の人々に倍していることを自覚していた。明治座が開場のことも、左団次一座が出演のことも、またその上演の番組のことも、わたしはとうから承知しているのではあるが、今やこの小さい新装の劇場の前に立った時に、復興とか復活とかいうような、新しく勇ましい心持が胸一杯に漲《みなぎ》るのを覚えた。
 わたしの脚本が舞台に上演されたのは、東京だけでも已《すで》に百数十回に上っているのと、もう一つには私自身の性格の然らしむる所とで、わたしは従来自分の作物の上演ということに就てはあまりに敏感でない方である。勿論、不愉快なことではないが、またさのみに愉快とも感じていないのであった。それが今日にかぎって一種の亢奮《こうふん》を感じるように覚えるのは、単にその上演目録のうちに『鳥辺山心中』と、『信長記』と、『浪花の春雨』と、わたしの作物が三種までも加わっているというばかりでなく、震災のために自分の物一切
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