》し潰《つぶ》されるかと思うような苦しみを忍びながら、どうやら名古屋まで運ばれて来ましたが、神奈川県にはまだ徒歩連絡のところがあるとかいうことを聞いたので、さらに方角をかえて、名古屋から中央線に乗ることにしました。さて、これからがお話です。
「ひどい混雑ですな。からだが煎餅のように潰されてしまいます。」
僕のとなりに立っている男が話しかけたのです。この人も名古屋から一緒に乗換えて来たらしい。煎餅のように潰されるとは本当のことで、僕もさっきからそう思っていたところでした。どうにかこうにか車内にはもぐり込んだものの、ぎっしりと押し詰められたままで突っ立っているのです。おまけに残暑が強いので、汗の匂いやら人いきれやらで眼が眩《くら》みそうになってくる。僕は少し気が遠くなったような形で、周囲の人たちが何かがやがやしゃべっているのも、半分は夢のように聞こえていたのですが、この人の声だけははっきりと耳にひびいて、僕もすぐに答えました。
「まったく大変です。実にやり切れません。」
「あなたは震災後、はじめてお乗りになったんですか。」
「そうです。」
「それでも上りはまだ楽です。」と、その男は言いました。「このあいだの下りの時は実に怖ろしいくらいでした。」
その男は単衣《ひとえもの》を腰にまき付けて、ちぢみの半シャツ一枚になって、足にはゲートルを巻いて足袋はだしになっている。その身ごしらえといい、その口ぶりによって察しると、震災後に東京からどこへか一旦|立退《たちの》いて、ふたたび引っ返して来たらしいのです。僕はすぐに訊きました。
「あなたは東京ですか。」
「本所です。」
「ああ。」と、僕は思わず叫びました。東京のうちでも本所の被害が最もはなはだしく、被服厰跡だけでも何万人も焼死したというのを知っていたので、本所と聞いただけでもぞっ[#「ぞっ」に傍点]としたのです。
「じゃあ、お焼けになったのですね。」と、僕はかさねて訊きました。
「焼けたにもなんにも型なしです。店や商品なんぞはどうでもいい。この場合、そんなことをぐずぐず言っちゃあいられませんけれど、職人が四人と女房と娘ふたり、女中がひとり、あわせて八人が型なしになってしまったんで、どうも驚いているんですよ。」
僕ばかりでなく、周囲の人たちも一度にその男の顔を見ました。車内に押合っている乗客はみな直接間接に今度の震災に関係
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