俗の女はひとりも泊まらないらしかった。
ただひと組、九月九日の夜に投宿した夫婦連れがある。これは東京から長野の方をまわって来たらしく、男は三十七八の商人体で、女は三十前後の小粋な風俗であったということです。この二人がどうしてここへ降りたかというと、女の方がやはり僕とおなじように汽車のなかで苦しみ出したので、よんどころなく下車してここに一泊して、あくる朝早々に名古屋行きの汽車に乗って行った。女は真っ蒼な顔をしていて、まだほんとうに快くならないらしいのを、男が無理に連れ出して行ったが、その前夜にも何かしきりに言い争っていたらしいというのです。
単にそれだけのことならば別に子細もないのですが、ここに一つの疑問として残されているのは、その男が大きいカバンのなかに宝石や指輪のたぐいをたくさん入れていたということです。当人の話では、自分は下谷辺の宝石商で家財はみんな灰にしたが、わずかにこれだけの品を持出したとか言っていたそうです。したがって、宿の者の鑑定では、その指輪はあの男が落して行ったのではないかというのですが、九月九日から約十日のあいだも他人の眼に触れずにいたというのは不思議です。また、果してその男が持っていたとすれば、どうして手に入れたのでしょう。
「いや、そいつかも知れません。宝石商だなんて嘘だか本当だか判るもんですか。指輪をたくさん持っていたのは、おおかた死人の指を切ったんでしょう。」と、西田さんは言いました。
僕は戦慄しました。なるほど飛騨にいるときに、震災当時そんな悪者のあったという新聞記事を読んで、よもやと思っていたのですが、西田さんのように解釈すれば、あるいはそうかと思われないこともありません。それはまずそれとして、僕としてさらに戦慄を禁じ得ないのは、その指輪が西田さんの総領娘の物であったということです。こうなると、僕の眼に映った若い女のすがたは単に一種の幻覚とのみ言われないようにも思われます。女の泣き声、女の姿、女の指輪――それがみな縁を引いて繋がっているようにも思われてなりません。それとも幻覚は幻覚、指輪は指輪、どこまで行っても別物でしょうか。
「なんにしてもいいものが手に入りました。これが娘の形見です。あなたと道連れにならなければ、これを手に入れることは出来なかったでしょう。」
礼をいう西田さんの顔をみながら、僕はまた一種の不思議を感じました。
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