りた方がいいでしょう。わたしも御一緒に降りましょう。」
「いえ、決してそれには……。」
 僕は堅くことわりました。なんの関係もない僕の病気のために、西田という人の帰京をおくらせては、この場合、まったく済まないことだと思いましたから、僕は幾度もことわって出ようとすると、脳貧血はますます強くなって来たとみえて、足もとがふらふらするのです。
「それ、ご覧なさい。あなた一人じゃあとてもむずかしい。」
 西田さんは、僕を介抱して、ぎっしりに押詰まっている乗客をかき分けて、どうやらこうやら車外へ連れ出してくれました。気の毒だとは思いながら、僕はもう口を利く元気もなくなって、相手のするままに任せておくよりほかはなかったのです。そのときは夢中でしたが、それが奈良井《ならい》の駅であるということを後に知りました。ここらで降りる人はほとんどなかったようでしたが、それでも青年団が出ていて、いろいろの世話をやいていました。
 僕はただぼんやりしていましたから、西田さんがどういう交渉をしたのか知りませんが、やがて土地の人に案内されて、町なかの古い大きい宿屋のような家へ送り込まれました。汗だらけの洋服をぬいで浴衣に着かえさせられて、奥の方の座敷に寝かされて、僕は何かの薬をのまされて、しばらくはうとうとと眠ってしまいました。
 眼がさめると、もうすっかりと夜になっていました。縁側の雨戸は明け放してあって、その縁側に近いところに西田さんはあぐらをかいて、ひとりで巻煙草をすっていました。僕が眼をあいたのを見て、西田さんは声をかけました。
「どうです。気分はようござんすか。」
「はあ。」
 落ち着いてひと寝入りしたせいか、僕の頭はよほど軽くなったようです。起き直ってもう眩暈《めまい》がするようなことはない。枕もとに小さい湯沸しとコップが置いてあるので、その水をついで一杯のむと、木曽の水は冷たい、気分は急にはっきりして来ました。
「どうもいろいろ御迷惑をかけて相済みません。」と、僕はあらためて礼を言いました。
「なに、お互いさまですよ。」
「それでも、あなたはお急ぎのところを……。」
「こうなったら一日半日を争っても仕様がありませんよ。助かったものならば何処かに助かっている。死んだものならばとうに死んでいる。どっちにしても急ぐことはありませんよ。」と、西田さんは相変らず落ちついていました。
 そうはいっ
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