居《すまい》では大抵《たいてい》行灯《あんどう》を点《とぼ》していた。家に依《よっ》ては、店頭《みせさき》にも旧式のカンテラを用いていたのもある。往来に瓦斯灯《がすとう》もない、電灯もない、軒ランプなども無論なかった。随って夜の暗いことは殆《ほとん》ど今の人の想像の及ばない位で、湯に行くにも提灯《ちょうちん》を持ってゆく。寄席《よせ》に行くにも提灯を持ってゆく。加之《おまけ》に路《みち》が悪い。雪融《ゆきど》けの時などには、夜は迂濶《うっかり》歩けない位であった。しかし今日《こんにち》のように追剥《おいはぎ》や出歯亀《でばかめ》の噂などは甚だ稀であった。
 遊芸の稽古所というものも著るしく減じた。私の子供の頃には、元園町一丁目だけでも長唄の師匠が二、三|軒《げん》、常磐津《ときわづ》の師匠が三、四軒もあったように記憶しているが、今では殆ど一軒もない。湯帰りに師匠のところへ行って、一番|唸《うな》ろうという若い衆《しゅ》も、今では五十銭均一か何かで新宿へ繰込む。かくの如くにして、江戸子《えどっこ》は次第に亡びてゆく。浪花節《なにわぶし》の寄席が繁昌する。
 半鐘《はんしょう》の火《ひ》の
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