隅へころがして置いたのでした。さて、かの六三郎はこれを見てどうするか、その出ようによってその本心を探る術《すべ》もあると、吉五郎はひそかにうかがっていると、年の若い、気の弱い六三郎はその試験にすっかり落第してしまいました。
「お前はこの女を知っているか。」と訊かれたときに、六三郎は「知らない。」と答えました。この一言で、こりゃあ駄目だと吉五郎に見限られました。死んだ振りをしていたお初も、あんまりな人だと大層くやしがったそうです。六三郎が帰ったあとで、お初は吉五郎の前に手をついて、あらためて自分の不埒を詫びた上に、あんな奴のことはふっつり思い切りますから、どうぞこれまで通りにお世話を願いますと、心から涙をこぼして頼んだそうです。
可哀そうなのは六三郎です。自分の思う女に見限られたばかりか、それが根《もと》となって病いは重るばかりで、みんなと一緒に信州まではともかくも乗り込んだものの、とても舞台の人にはなれそうもないので、旅さきから一座の人々に引き別れて、ほとんど骨と皮ばかりの哀れな姿で、故郷の江戸へ帰って来ました。六三郎の家は深川の寺町にありました。それからどっと床について、あけて十七の春、松の内にとうとう死んでしまいました。その枕もとには毎晩蒼い顔をした女が坐っていたなどというのは、六三郎の囈語《うわこと》でも聞いた人が尾鰭を添えて言いふらした怪談で、お初は明治の後までも甲州に生きていたということです。
[#地付き](『子供役者の死』隆文館、21[#「21」は縦中横]/『岡本綺堂読物選集・3』青蛙房、69[#「69」は縦中横]・9)
底本:「文藝別冊[総特集]岡本綺堂」河出書房新社
2004(平成16)年1月30日発行
底本の親本:「岡本綺堂読物選集3」青蛙房
1969(昭和44)年9月
初出:「子供役者の死」隆文館
1921(大正10)年
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年5月9日作成
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