を打ち揚げてから二日目の朝、半分は死んでいるような六三郎を山駕《やまかご》にのせて、一座の子供役者はこの土地を立ち退くことになりました。座頭の役者は見送りの人々にむかって「来年もまた御厄介になります。」と挨拶をして別れました。山国の秋は俄かに寒くなって、けさは袷でもほしいような陽気でした。
 お江戸の役者が発つというので、これまで幾日か白粉の香に酔わされていたこの町の娘子供などは名残り惜しいような顔をして見送っていました。中には悲しそうに涙ぐんでいるのもありました。取り分けて肝腎の花形の六三郎の顔が駕籠の垂簾《たれ》にかくされているのを、残り惜しく思う若い女もたくさんあったでしょう。そのなかで唯ひとり、路傍《みちばた》の柳のかげに立って、六三郎の駕籠をじっと睨んで、「畜生……いい気味だ。」と、あざわらっている一人の女がありました。
 お初は生きていたのです。
 親分の吉五郎は苦労人で、大勢の子分の面倒も見ている男だけに、お初と六三郎とのわけを聞いても、生かすの殺すのというような、この社会にありがちな野暮はいわなかったのです。そこで先ずお初を自分の家へ呼びつけて、おだやかに詮議を始めると、女もさすがに江戸っ子ですから、自分よりも年下の六三郎に関係した始末を、ちっとも悪びれずに白状して、親分のお目を掠めたのはわたくしが重々の不埒ですから、どうぞ御存分になすって下さいましと、いさぎよく自分のからだを投げ出してしまいました。これがひどく吉五郎の気に入って、「よく綺麗に白状した。で、おまえは十歳《とお》も年の違う六三郎と夫婦になりてえか。」と訊きましたら、お初は「そうなれば自分は本望です。弟だと思って面倒を見てやります。」と、正直に答えたそうです。
 それを聞いても吉五郎は憤《おこ》りませんでした。「よし、お前がそれほどに思っているならば、おれが媒介《なこうど》をして六三郎と一緒にしてやるから、いつまでも可愛がってやれ。しかし相手は子供だ、おまけに旅を廻る芸人だ。いい加減にだまされていちゃあ詰まらねえから、まったく相手の方でもお前を思っているかどうだか、よくその性根を試した上で、おれの方から本人に話をつけてやろう。まあ、そのつもりで待っていろ。」というので、それからひと趣向して六三郎を呼び付けたのです。お初の顔や身体には糊紅を塗って、なぶり殺しにでもされたように拵えて、座敷の
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