赤坂の桐畑《きりばたけ》のそばに小坂丹下という旗本がありました。千五百石の知行取りで、その先代はお目附を勤めたとか聞いています。一口に旗本と云っても、身分にはなか/\高下があります。百石以上は旗本ですけれども、それらは所謂貧乏旗本で、先ずほんとうの旗本らしい格式を保ってゆかれるのは少くも三百石以上でしょう。五百石以上となれば立派なお歴々で、千石以上となれば大身《たいしん》、それこそ大威張りのお殿様です。そこで、この小坂さんの屋敷は千五百石というのですから、立派なお旗本であることは云うまでもありません。
 当主の丹下という人は今年三十七の御奉公盛りですが、病気の届け出《い》でをして五六年まえから無役の小普請入りをしてしまいました。学問もある人で、若い時には聖堂の吟味に甲科で白銀三枚の御褒美を貰い、家督を相続してからも勤め向きの首尾もよく、おい/\出世の噂もきこえていたのですが、二十五六のときから此人にふと魔がさした。というのは、この人が芸事に凝り始めたのです。芸事も色々ありますが、清元の浄瑠璃に凝り固まってしまったのだから些《ちっ》と困ります。なんでもその皮切りは、同役の人の下屋敷へ呼ば
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