ったくこゝらは著しく変った。
 それでも幾分か昔のおもかげが残っていて、今でも比較的に広い庭園や空地を持っている家では、一種の慰み半分に小さい野菜畑などを作って素人園芸を楽しんでいるのも少くない。わたしの家《うち》のあき地にも唐もろこしを栽《う》えてあって、このごろはよほど伸びた長い葉があさ風に青く乱れているのも、又おのずからなる野趣がないでもない。三浦老人の旧宅にも唐蜀黍《とうもろこし》が栽えてあって、秋の初めにたずねてゆくと、老人はその出来のいゝのを幾分か御自慢の気味で、わたしを畑へ案内して見せたこともあった。焼いて食わせてくれたこともあった。家へのみやげにと云って大きいのを七八本も抱えさせられて、少々有難迷惑に感じたこともあった。
 それも今では懐しい思い出の一つとなった。わたしはこのごろ自分の庭のあき地を徘徊して、朝に夕にめっきりと伸びてゆく唐もろこしの青い姿を見るたびに、三浦老人その人のすがたや、その当時はまだ青二才であった自分の若い姿などが見かえられて、今後更に二十余年を経過したらば、こゝらのありさまも又どんなに変化するかなどと云うことも考えさせられる。
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