るが、今日その番地の辺をたずねても杉の生垣などは一向に見あたらない。あたりにはすべて当世風の新しい住宅や商店ばかりが建ちつゞいている。町が発展するにしたがって、それらの古い建物はだん/\に取毀されてしまったのであろう。
昔話――それを語った人も、その人の家も、みな此世から消え失せてしまって、それを聴いていた其当時の青年が今やこゝに移り住むことになったのである。俯仰今昔の感に堪えないとはまったく此事で、この物語の原稿をかきながらも、わたしは時々にペンを休めて色々の追憶に耽ることがある。むかしの名残で、今でもこゝらには躑躅が多い。わたしの庭にも沢山に咲いている。その紅い花が雨にぬれているのを眺めながら、今日もその続稿をかきはじめると、むかしの大久保があり/\と眼のまえに浮んでくる。
いつもの八畳の座敷で、老人と青年とが向い合っている。老人は「権十郎の芝居」という昔話をしているのであった。
あなたは芝居のことを調べていらっしゃるようですから、今のことは勿論、むかしのことも好く御存じでしょうが、江戸時代の芝居小屋というものは実に穢い。今日の場末の小劇場だって昔にくらべれば遙かに立派なも
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