めるでもなく、その後も相変らず神明の店に通っていると、庄之助はその後たび/\尋ねて来て、早く神明の方をやめてくれと催促する。おふくろのお幸も傍から勧める。お金ももう断り切れなくなって、男と相談の上で一旦どこへか姿を隠してしまったのです。
 そんなことゝは知らないで、庄之助は又もや片門前の家へたずねてゆくと、姉はこの間から家出して行方が知れないということをお幸から聞かされて、庄之助もおどろきました。新内松のことはお幸も薄々知っていたのですが、そんなことを庄之助にうっかり云っていゝか悪いかと遠慮していたので、何がどうしたのか庄之助には些《ちっ》とも判りません。それでも神明へ行って訊いてみたら、なにかの手がかりもあろうかと、何気ない風でお金の店へ出かけてゆくと、いきなり地廻りやごろつき共に取りまかれて、前に云ったような大騒動を仕出来《しでか》したのです。桜井庄之助という若い侍は姉思いから飛んだことになって気の毒でした。
 すべての事情が斯うわかってみると、庄之助の八人斬にも大いに同情すべき点があります。斬られた相手は皆ごろつきや地廻りで、事の実否もよく糺さず、武士に対して狼藉を働いたのですから、云わば自業自得の斬られ損ということになってしまいました。殊に幕末で、徳川幕府の方でも旗本の侍は一人でも大切にしている時節でしたから、庄之助にはなんの咎めも無くて済みました。稼ぎ人に逃げられたお幸は、桜井の屋敷から内々の扶助をうけていたとか云います。
 新内松は品川の橋向うで御用になりました。お金はその時まで一緒にいたらしいのですが、そのゆくえは判りませんでした。それから一年ほど経ってから、神奈川の貸座敷に手取りの女がいて、その右の頬にかすり疵のあとがあると云う噂でしたが、それが彼の矢がすりであるか無いか、確かなことは知った者もありませんでした。くどくも申す通り、新内松に矢がすりお金――この方に一向面白いお芝居がないので、まことに物足らないようですが、実録は大抵こんなものかも知れませんね。



底本:「大衆文学大系7 岡本綺堂 菊池寛 久米正雄 集」講談社
   1971(昭和46)年10月20日第1刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林田清明
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
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