うわけです。大次郎はふり切って帰ろうとする。女は無理にひきとめる。それがだん/\露骨になって来たので、大次郎も気がついて、あゝ飛んだところへ引っかかったと思ったが、今更どうすることも出来ない。あやまるようにして勘定をすませて、さて帰ろうとすると、自分の大小がみえない。
「これ、おれの大小をどうした。」
「存じませんよ。」と、女は澄ましていました。
「存じないことはない。探してくれ。」
「でも、存じませんもの。あなた、お屋敷へお忘れになったのじゃありませんか。」
「馬鹿をいえ。侍が丸腰で屋敷を出られるか。たしかに何処かにあるに相違ない。早く出してくれ。」
 女は年こそ若いが、なか/\人を食った奴で、こっちが焦れるほどいよ/\落ちつき払って、平気にかまえているのです。小面《こづら》が憎いと思うけれど、こゝで喧嘩も出来ない。淫売屋というなかにも、こゝの家はよほど風《ふう》のわるい家で、大次郎の足どめに大小を隠してしまったらしい。いよ/\憎い奴だと思うものゝ、こゝへ飛び込んで来たときは半分夢中であったので、いつ何うして大小を取りあげられたのか些《ちっ》とも覚えがない。こうなると水かけ論で、いつまで押問答をしていても果てしが付かないことになるので、大次郎も困りました。
 勿論、たしかに隠してあるに相違ないのですから、表向きにすれば取返す方法がないことはない。町内の自身番へ行って、その次第をとゞけて出れば、こゝの家の者どもは詮議をうけなければならない。武士が大小をさゝずに来たなどというのは、常識から考えても有りそうもないことですから、こゝの家で隠したと云う疑いはすぐにかゝる。まして隠し売女を置いているということまでが露顕しては大変ですから、こゝで大次郎が「自身番へゆく」と一言いえば、相手も兜をぬいで降参するかも知れないのですが、残念ながらそれが出来ない。表向きにすれば、第一に屋敷の名も出る。ひいては雷見舞の一件も露顕しないとも限らないので、大次郎はひどく困りました。相手の方でも真逆に雷見舞などとは気がつきませんでしたろうが、たといどっちが悪いにせよ、侍が大小を取られたの、隠されたのと云って、表向きに騒ぎ立てるのは身の恥ですから、よもや自身番などへ持出しはしまいと多寡をくゝって、どこまでも平気であしらっている。こんな奴等に出逢ってはかないません。
 こうなったら仕方がないから、金でも遣って大小を出して貰うか、それとも相手の云うことを肯いて遊んでゆくか、二つに一つより外はないのですが、可哀そうに大次郎はあまり沢山の金を持っていない上に、こゝで祝儀を遣ったり、法外に高い勘定を取られたりしたので、紙入れにはもう幾らも残っていないのです。ほかの品ならば、打っちゃった積りで諦めて帰りますが、武士の大小、それを捨てゝ丸腰では表へ出られません。大次郎も困り果てゝ、嚇したり賺《すか》したりして色々にたのみましたが、相手は飽までもシラを切っているのです。年のわかい大次郎はだん/\に焦れ込んで来ました。
「では、どうしても返してくれないか。」
「でも、無いものを無理じゃありませんか。」
「無理でもいゝから返してくれ。」
「まあ、ゆっくりしていらっしゃいよ。そのうちには又どっかから出て来ないとも限りませんから。」
「それ、みろ。おまえが隠したのじゃないか。」
「だって、あなたがあんまり強情だからさ。あなたがわたしの云うことを肯いてくれなければ、わたしの方でもあなたの云うことを肯きませんよ。そこが、それ、魚心に水心とか云うんじゃありませんか。」
「だから、また出直してくる。きょうは堪忍してくれ。もう七つを過ぎている。おれは急いで行かなければならない。」
「七つ過ぎには行かねばならぬ――へん、きまり文句ですね。」
 大次郎はいよ/\焦れて来ました。
「これ、どうしても返さないか。」
「返しません。あなたが云うことを肯かなければ……。」
 云いかけて、女はきゃっと云って倒れました。そこにあった徳利で眉間をぶち割られたのです。大次郎は徳利を持ったまゝで突っ立ちました。
「さあ、どこに隠してある。案内しろ。」
 女の悲鳴をきいて、下から亭主や料理番や、ほかに三四人の男どもが駈けあがって来ました。どうでこんな家《うち》ですから、亭主はごろつきのような奴で、丁度仲間の木葉《こっぱ》ごろ[#「ごろ」に傍点]があつまって奥で手なぐさみをしているところでしたから、すぐにどや/\と駈けつけて来たのです。来てみると、この始末ですから承知しません。大事の玉を疵物にされては、侍でもなんでも容赦は出来ない。取っ捉まえて自身番へ突き出せと、腕まくりをして掴みかゝる。それを突き倒して次の間へ飛び出すと、そこには夜具でも入れてあるらしい押入れがある。もしやと思って明けて見ると、果して自分の大小が夜
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