まりました。島へ行ってから何うしたか知りませんが、おそらく赦《しゃ》に逢って帰ったろうと思います。
[#改段]

置いてけ堀

       一

「躑躅《つゝじ》がさいたら又おいでなさい。」
 こう云われたのを忘れないで、わたしは四月の末の日曜日に、かさねて三浦老人をたずねると、大久保の停車場のあたりは早いつゝじ見物の人たちで賑っていた。青葉の蔭にあかい提灯や花のれんをかけた休み茶屋が軒をならべて、紅い襷の女中達がしきりに客を呼んでいるのも、その頃の東京郊外の景物の一つであった。暮春から初夏にかけては、大久保の躑躅が最も早く、その次が亀戸《かめいど》の藤、それから堀切《ほりきり》の菖蒲という順番で、そのなかでは大久保が比較的に交通の便利がいゝ方であるので、下町からわざ/\上《のぼ》ってくる見物もなか/\多かった。藤や菖蒲は単にその風趣を賞するだけであったが、躑躅には色々の人形細工がこしらえてあるので、秋の団子坂の菊人形と相対して、夏の大久保は女子供をひき寄せる力があった。
 ふだんは寂しい停車場にも、きょうは十五六台の人車《くるま》が列んでいて、つい眼のさきの躑躅園まで客を送って行こうと、うるさいほどに勧めている。茶屋の姐さんは呼ぶ、車夫《くるまや》は附き纏う、そのそう/″\しい混雑のなかを早々に通りぬけて、つゝじ園のつゞいている小道を途中から横にきれて、おなじみの杉の生垣のまえまで来るあいだに、私はつゝじのかんざしをさしている女たちに幾たびも逢った。
 門をあけて、いつものように格子の口へゆこうとすると、庭の方から声をかけられた。
「どなたです。すぐに庭の方へおまわりください。」
「では、御めん下さい。」
 わたしは枝折戸をあけて、すぐに庭先の方へまわると、老人は花壇の芍薬の手入れをしているところであった。
「やあ、いらっしゃい。」
 袖にまつわる虻《あぶ》を払いながら、老人は縁さきへ引返して、泥だらけの手を手水鉢《ちょうずばち》で洗って、わたしをいつもの八畳の座敷へ通した。老人は自分で起って、忙しそうに茶を淹《い》れたり、菓子を運んで来たりした。それがなんだか気の毒らしくも感じられたので、私はすゝめられた茶をのみながら訊いた。
「きょうはばあやはいないんですか。」
「ばあやは出ましたよ。下町にいるわたくしの娘が孫たちをつれて躑躅を見にくるとこのあいだから云って
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