いをした大小名は沢山あります。しかも遠い昔ばかりでなく、文化、文政から天保以後になっても、廓へ入込んだ殿様は幾らもありましたから、敢てめずらしいことでもないのですが、その諸越という女がおそろしく雷を嫌ったということがお話の種になるのです。そのつもりでお聴きください。
 その大名は吹けば飛ぶような木葉《こっぱ》大名でなく、立派に大名の資格を具えている家柄の殿様でしたが、それがしきりに諸越のところへ通ってゆく。勿論、大名のお忍びですから、頻りにと云ったところで、月に二三度ぐらいのことでしたが、それでも殿様は大執心で、相方《あいかた》の女に取っても、その店に取っても、大変にいゝお客様であったのです。
 諸越が雷を嫌うということは、殿様もよく知っている。そこで、雷が鳴ると、その屋敷から諸越のところへ御見舞の使者が来ることになっていました。随分ばか/\しいようなお話で、今日の人たちは嘘のように思うかも知れませんが、これは擬《まが》いなしの実録です。勿論小さい雷ならば構わないでしょうが、少し強い雷が鳴り出すと、屋敷の侍が早駕籠に乗ってよし原へ駈けつけて、お見舞の菓子折か何かをうや/\しく花魁に献上するというわけです。いかに主命でも、兎もかくも一人の武士が花魁のところへ雷《らい》見舞にゆくと云うのですから、重々難儀の役廻りで、相当の年配のものは御免を蒙って引き下りますから、この役目はいつも若侍がうけたまわることになっていました。
 ところで、その年の夏は先ず無事に済んでいたのですが、どういう陽気の加減か、その年は十月の末に颶風《はやて》のような風がふき出して、石ころのような大きい雹が雨まじりに降る。それと一緒にひどい雷が一|時《とき》あまりも鳴りひゞいたので、江戸中の者もびっくりしました。この屋敷でもおどろきました。もう大丈夫と油断していると、この大雷が不意に鳴り出したのです。殊に時ならぬ雷というのですから、猶さらお見舞を怠ってはならぬと、殿さまの御指図を待つまでもなく、屋敷からは倉田大次郎という若侍を走らせて、諸越花魁の御機嫌を伺わせることにしました。
 大次郎はすぐに支度をして、さすがに裃《かみしも》は着ませんけれども、紋付の羽織袴というこしらえで、干菓子の大きい折をさゝげて、駕籠をよし原へ飛ばさせました。大次郎は今年二十二で、ふだんから殿さまのお供をして吉原へゆく者ですから
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