た。それはみな町家の弟子で、帰りに道草を食っていてはならぬ、かならず真直に家へ帰れよ、と師匠から云い渡されているのですが、やはり子供ですから然《そ》うは行きません。殊にきょうは天気がいゝので、稽古の帰りに遊んでいる。そのなかには三河屋の綱吉もいました。ほかにもこの間の喧嘩仲間が二人ほどまじっていました。
 この子供たちが余念もなしに遊んでいると、竹藪の奥から五六人の子供が出て来ました。どれもみな手拭で顔をつゝんで、その上に剣術の面をつけているので、人相は鳥渡《ちょっと》わからない。それが木刀や竹刀を持って飛び出して来て、町家の子供達をめちゃ/\になぐり付けました。そのなかでも三河屋の綱吉は第一に目指されて、殆ど正気をうしなうほどに打ち据えられてしまいました。
 子供達はおどろいて泣きながら逃げまわる。それでも素|疾《ばし》っこいのが師匠の屋敷へ逃げて帰って、そのことを訴えたので、居あわせた仲間ふたりと若党とがすぐに其場へ駈けつけると、乱暴者はもう逃げてゆくところでした。そのなかに餓鬼大将らしい十六七の少年が一人まじっている。そのうしろ姿が彼の大塚孫次郎の兄の孫太郎らしく思われたが、これは真先に逃げてしまったので、確かなことは判りませんでした。
 こういうわけで、相手はみな取逃してしまったので、撲られた方の子供たちを介抱して屋敷へ一旦連れて帰ると、三河屋の綱吉が一番ひどい怪我をして顔一面に腫れあがっている。次は伊丹屋という酒屋の伜で、これも半死半生になっている。その他は幸いに差したることでもないので、それ/″\に手当をして送り帰しましたが、三河屋と伊丹屋からは釣台をよこして子供を引取ってゆくという始末。どちらの親たちも工面が好いので、出来るだけの手当をしたのですが、やはり運が無いとみえて、三河屋の伜はそれから二日目の朝、伊丹屋のせがれは三日目の晩に、いずれも息を引取ってしまいました。
 さあ、そうなると事が面倒です。いくら子供だからと云って人間ふたりの命騒ぎですから、中々むずかしい詮議になったのですが、なにを云うにも相手をみな取逃したので、確かな証拠がない。前々からの事情をかんがえると、その下手人も大抵は判っているのですが、無証拠では何うにも仕様がない。且は町人の悲しさに、三河屋も伊丹屋も結局泣寝入りになってしまったのは可哀そうでした。
 それから惹いて、市川さんも手
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