若い衆もさっきから此のいきさつ[#「いきさつ」に傍点]を知っているので、いつまでも咬み合わして置いて何かの間違いが出来てはならないと思ったのでしょう。藤崎さんを宥めるように連れ出して、別の土間へ引越させることにしました。ほかの割込みのお客と入れかえたのです。藤崎さんもこんなところにいるのは面白くないので、素直に承知して引越しましたが、今度の場所は今までよりも三四間あとのところで、喧嘩相手のふた組は眼のまえに見えます。その六人が時々にこちらを振返って、なにか話しながら笑っている。屹度おれの悪口を云っているに相違ないと思うと、藤崎さんはます/\不愉快を感じたのですが、根が芝居好きですから中途から帰るのも残り惜しいので、まあ我慢して二番目の猿まわしまで見物してしまったのです。
 芝居を出たのは彼是《かれこ》れ五つ(午後八時)過ぎで、贅沢な人は茶屋で夜食を食って帰るものもありますが、大抵は浅草の広小路辺まで出て来て、そこらで何か食って帰ることになっている。御承知の奴《やっこ》うなぎ、あすこの鰻めしが六百文、大どんぶりでなか/\立派でしたから、芝居がえりの人達はあすこに寄って行くのが多い。藤崎さんもその奴うなぎの二階で大どんぶりを抱え込んでいると、少しおくれて這入って来たのが喧嘩相手の四人で、職人は連でないから途中で別れたのでしょう。町人夫婦と妹娘と、もう一人の男とが繋がって来たのです。二階は芝居帰りの客がこみ合っているので、どちらの席も余程距れていましたが、藤崎さんの方ではすぐに気がつきました。
 きょうの芝居は合邦ヶ辻と亀山と、かたき討の狂言を二膳込みで見せられたせいか、藤崎さんの頭にも「かたき討」という考えが余ほど強くしみ込んでいたらしく、こゝで彼の四人連に再び出逢ったのは、自分の尋ねる仇にめぐり逢ったようにも思われたのです。たんとも飲まないが、藤崎さんの膳のまえには徳利が二本ならんでいる。顔もぽうと紅くなっていました。
 そのうちに、彼の四人連もこっちを見つけたとみえて、のび上って覗きながら又なにか囁きはじめたようです。そうして、時々に笑い声もきこえます。
「怪しからん奴等だ。」と、藤崎さんは鰻を食いながら考えていました。かえり討やら仇討やら、色々の殺伐な舞台面がその眼のさきに浮び出しました。
 早々に飯を食ってしまって、藤崎さんはこゝを出ました。かの四人連が下谷の池
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