「うっちゃってお置きなせえ。おまえさんが相手になるからいけねえ。」と、もう一人の職人が云いました。「山崎屋がほんとうに下手か上手か、ぼんくらに判るものか。」
「そうさな。」と、前の一人が又云いました。「あんまりからかっていると、仕舞には舞台へ飛びあがって、太平次にでも咬《くら》いつくかも知れねえ。あぶねえ、あぶねえ。もうおよしなせえ。」
 職人ふたりは藤崎さんを横目に視ながらせゝら笑いました。

       二

 この職人たちも権十郎贔屓とみえます。さっきから黙って聴いていたのですが、藤崎さんが飽までも強情を張って、意地にかゝって権十郎をわるく云うので、ふたりももう我慢が出来なくなって、四人連の方の助太刀に出て来たらしい。口では仲裁するように云っているが、その実は藤崎さんの方へ突っかかっている。殊に舞台へ飛びあがって太平次にくらい付くなどというのは、例の肥後の侍の一件をあて付けたもので、藤崎さんを武家とみての悪口でしょう。それを聞いて、藤崎さんもむっとしました。
 いくら相手が町人や職人でも、一桝のうちで六人がみな敵では藤崎さんも困ります。町人たちの方では味方が殖えたので、いよ/\威勢がよくなりました。
「まったくでございますね。」と、亭主の男もせゝら笑いました。「なにしろ芝居とお能とは違いますからね。一年に一度ぐらい御覧になったんじゃあ、ほんとうの芸は判りませんよ。」
「判らなければ判らないで、おとなしく見物していらっしゃれば好《い》いんだけれど……。」と、若いおかみさんも厭《いや》に笑いました。「これでもわたし達は肩揚のおりないうちから、替り目ごとに欠さずに見物しているんですからね。」
 かわる/″\に藤崎さんを嘲弄するようなことを云って、しまいには何がなしに声をあげてどっと笑いました。藤崎さんはいよ/\癪に障った。もうこの上はこんな奴等と問答無益、片っ端から花道へひきずり出して、柔術の腕前をみせてやろうかとも思ったのですが、どうしても、そんなことは出来ない。侍が芝居見物にくる、単にそれだけならば兎もかくも黙許されていますが、こゝで何かの事件をひき起したら大変、どんなお咎めを蒙るかも知れない。自分の家にも疵が付かないとは限らない。いくら残念でも場所が悪い。藤崎さんは胸をさすって堪えているより外はありません。そこへ好い塩梅に茶屋の若い衆が来てくれました。
 
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