便利になった。
 さりとて、三十七、八年も親《したし》んでいた古机を古道具屋の手にわたすにも忍びないので、そのまま戸棚の奥に押込んでおくと、その年の九月が例の震災で、新旧の机とも灰となってしまいました。新の方に未練はなかったが、旧の方は久しい友達で、若いときからその机の上で色々のものを書いた思い出――誰でもそうであろうが、取分け我々のような者は机というものに対して色々の思い出が多いので、それが灰になってしまったということはかなりに私のこころを寂しくさせました。
 震災の後、目白の額田六福《ぬかだろっぷく》の家に立退《たちの》いているあいだは、その小机を借りて使っていましたが、十月になって麻布へ移転する時、何を措《お》いても机はすぐに入用であるので、高田の四つ家町へ行って家具屋をあさり歩きました。勿論その当時のことであるから択り好みはいっていられない。なんでも机の形をしていれば好いぐらいの考えで、十二円五十銭の机を買って来た。これも木材はセンで、それにラックスを塗ったもので、頗《すこぶ》る頑丈に出来ているのです。もう少し体裁のよいのもあったのですが、私は脊が高いので机の脚も高くなければ困る。そういう都合で、脚の高いのを取得に先《ま》ずそれを買い込んで、そのまま今日まで使っているわけです。その後にいくらか優《ま》しの机を見つけないでもありませんが、震災以来、三度も居所を変えて、いまだに仮越しの不安定の生活をつづけているのですから、震災記念の安机が丁度相当かとも思って、現にこの原稿もその机の上で書いているような次第です。
 わたしは近眼のせいもありましょうが、机は明るいところに据えなければ、読むことも書くことも出来ません。光線の強いのを嫌う人もありますが、わたしは薄暗いようなところでは何だか頼りないような気がして落着かれません。それですから、一日のうちに幾度も机の位置をかえることがあります。従って、あまりに重い机は持ち運ぶに困るのですが、机に向った感じをいえば、どうも重くて大きい方がドッシリとして落付かれるようです。チャブ台の上などで原稿をかく人がありますが、私には全然出来ません。それがために、旅行などをして困ることがあります。
 もう一つ、これは年来の習慣でしょうが、わたしは自宅にいる場合、飯を食うときのほかは机の前を離れたことは殆どありません。読書するとか原稿を書くと
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