して出て来ているのだが、なんだか気がかりでならねえ。」
「そりゃ困ったな。あの雨のふるのにどこへ行ったのだろう。」
「それを詮議しても素直に言わねえ。江戸の客を追っかけて江の島へ行ったらしいのだが……。」
「なにしろ大事にしろよ。」
「おお。」
 二人は挨拶して別れた。牛の上でそれを聞いていた四郎兵衛は、自分の顔の傷を隠したくなった。お杉も義助も逃げ出したいような心持になった。
「おまえの家《うち》に何か病人があるのかね。」と、四郎兵衛は探るように訊いた。
「はあ、わたしの女房の姪《めい》ですよ。」と、男は牛をひきながら答えた。「今もいう通りだ。ゆうべから急に風邪を引いて、熱が出て、なんだか死にそうで、困っていますよ。」
「おまえの家はどこだ。」
「藤沢ですよ。少し遠いが、商売だから仕方がねえ。朝早くから牛を牽いて、鎌倉まで出て来ましたのさ。」
「おまえの姪は茶店でも出しているのかえ。」
「そうですよ。よく知っていなさるね。」
 男は思わず振返って、牛の上をみあげると、その途端に、牛は高く吼《ほ》えた。四郎兵衛は物におびえたように身をふるわせて、牛の背から突然にころげ落ちた。牛から落ち
前へ 次へ
全30ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング