でいたのであるが、四郎兵衛らが駕籠をおろして隣りの店へはいるのを見ると、俄かに顔の色を変えた。かれは年のころ二十二、三の、目鼻立ちの涼しい女で、土地の者ではないらしい風俗であった。
 四郎兵衛の一行は茶代を置いて店を出た。供の義助は徒歩《かち》で、四郎兵衛とお杉が駕籠に乗ろうとする時、隣りの店の女はつかつかと寄って来て、今や駕籠に半身入れかかった四郎兵衛の胸ぐらをとった。
「畜生、人でなし……。」
 かれは激しく罵りながら力まかせに小突《こづ》きまわすと、四郎兵衛はからだを支えかねて、乗りかけた駕籠からころげ落ちた。それを見て駕籠屋もおどろいた。
「おい、姐《ねえ》さん。どうしたのだ。」
「どうするものかね。」と、女はあざやかな江戸弁で答えた。「こん畜生のおかげで、あたしは一生を棒に振ってしまったのだ。こいつ、唯は置くものか。おぼえていろ。」
 言うかと思うと、かれは相手をいったん突き放して自分の店へ駈け込んだ。店の入口にはさざえの殻がたくさんに積んである。かれはその貝殻を両手に掴んで来て、四郎兵衛を目がけて続け撃ちに叩きつけた。その行動があまりに素捷《すばや》いのと事があまりに意外で
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