で死にかかっているというお安の魂が、かの牛に乗りうつって来たかとも思われたからである。二人は再び不安に襲われながら、四郎兵衛の駕籠を護って金沢へ急いだ。
金沢の宿《しゅく》に着いても、四郎兵衛はまだぼんやりしていた。ここでは思うような療治も出来ないというので、翌日の早朝に、この一行は三挺の駕籠をつらねて江戸へ帰ったが、江戸の医者たちにもその容態が判らなかった。ある者は牛から落ちた時に頭を強く撲《う》ったのであろうと言い、ある者はさざえの殻でぶたれた傷から破傷風になったのであろうと言い、その診断がまちまちであった。四郎兵衛は高熱のために、五、六日の後に死んだ。彼は死ぬまで一と言もいわなかった。
お安の裸体画をかいた絵師は頓死したといい、その周旋をした四郎兵衛はこの始末である。義助はある時それを香川甚五郎にささやくと、甚五郎はまだ笑っていた。
「今度はいよいよおれの番かな。」
果して彼の番になった。それから一年ほどの後に、甚五郎は身持|放埒《ほうらつ》の廉《かど》を以って留守居役を免ぜられ、国許逼塞《くにもとひっそく》を申付けられた。
さてその本人のお安という女は、病気のために死んだかどうだか、その後の消息は判らなかった。その時代のことであるから、江戸から藤沢までわざわざ取調べにも行かれないので、小泉の店でもそのままにしてしまった。
底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「富士」
1934(昭和9)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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