かくも枕に就いたが、雨の音、海の音、さなきだに不安の夢にしばしば驚かされた。

     四

 あしたは晴れるようにと、お杉が碌ろく寝もやらず弁財天を念じ明かした奇特《きどく》か、雨は暁け方からやんで、二十五日の朝は快晴となった。その朝日のひかりを海の上に拝んで、お杉は思わず手をあわせた。きょうの晴れは自分たちの救われる兆《しるし》であるようにも思われた。
 三人は早々に朝飯の箸をおいて、出がけに再び下の宮に参詣した。四郎兵衛とお杉は草履、義助は草鞋、皆それぞれに足拵えをして宿の者に教えられた通りに、鎌倉から金沢へ出て、それから四里あまりの路をたどって程ヶ谷へ着くという予定である。
 四郎兵衛の顔の傷も思いのほかに軽かったとみえて、今朝は腫れもひいて痛みも薄らいだ。天気もうららかに晴れているので、三人は徒歩《かち》で鎌倉まで行くことにした。ほかにもそういう考えの人たちがあるので、道連れではないが、あとさきになって同じ路をゆく群れが多かった。その人びとの苦労のない高話や笑い声を聴きながら歩いていると、三人の気分も次第に晴れやかになった。まさかにお安もここまでは付いて来ないだろうと幾分の安心も出て、四郎兵衛もゆるやかに煙草などをすいながら歩いた。
 無事に鎌倉に行き着いて、型のごとくに名所古蹟を見物した。ゆうべまでは鎌倉を通りぬけて、真っ直ぐに江戸へ帰るつもりであったが、さてここまで無事に来て見ると、そんなに慌てて逃げ帰るには及ぶまいという油断が出たのと、めったに再び来ることも出来ないというので、三人は他の人たちと同じように見てあるいた。八幡の本社はこの二月の火事に類焼して、雪の下の町もまだ焼け跡の整理が届かないのであるが、江の島開帳を当て込みに仮普請のままで商売を始めている店も多かった。
 しかも仇を持っているような三人は、さすがに悠々とここに一泊する気にはなれなかった。今夜は金沢で泊ることにして、見物はまずいい加減に切上げて、鎌倉のお名残りに由比ヶ浜へ出て、貝をあさる女子供の群れをながめながら、稲村ヶ崎の茶屋に休んでいると、五十前後の男が牛を牽《ひ》いて来た。
「牛に乗ってくだせえましよ。」
 ここらの百姓が農事のひまに牛を牽いて来て、旅の人たちに乗れと勧めるのは多年の慣いである。牛に乗ると長生きをするなどというので、おもしろ半分に乗る人がある。鎌倉へ来た以上、話
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