もよく知らないが、おそらく甚五郎から高い画料を受取ったのであろう。絵はとどこおりなく描きあがって、その出来栄えのいいのに甚五郎はいよいよ満足した。約束の二十両は四郎兵衛の手を経てお安に渡された。
これでこの一件は無事に済んだ筈であるが、それから半年ほどの後に、お安はなんと思ったか、四郎兵衛にむかって、二十両の金を返すからあの裸体画を取戻してくれと言い出した。その絵はどこへ行ったか知らないが、甚五郎の手許に残っていないことは判っているので、四郎兵衛はそのわけを言って聞かせたが、お安はどうしても承知しない。自分のあられもない姿が世に残っているかと思うと、恥かしいと情けないとで、居ても立ってもいられないような気がする。是非ともあの裸体画を取戻して焼き捨ててしまわなければ、自分の気が済まないというのである。勿論お安が最初から素直に承知したのではない、忌《いや》がるものを無理に納得させたのであるが、ともかくも承知して万事を済ませた後、今更そんなことを言い出されては困る。それを甚五郎に取次いだところで、どうにもならない事は判り切っている。あるいは後《あと》ねだりをするのかと思って、四郎兵衛はさらに十両か十五両の金をやるといったが、お安は肯かない。自分の方から二十両の金を突きつけて、どうしても返してくれと迫るのであった。
それは無理だといろいろに賺《すか》しても宥《なだ》めても、お安は肯かない。かれは顔色を変えて、さながら駄駄ッ子か気違いのように迫るのである。四郎兵衛も年が若いので、しまいには我慢が出来なくなった。
「これほど言って聞かせても判らなければ、勝手にしろ。」
「勝手にします。あたしは死にます。」
二人は睨み合って別れた。それから幾日かの後に、お安は喜多屋から突然に姿を消した。まさかに死んだのではあるまいと思いながらも、四郎兵衛はあまりいい心持がしなかった。その後に甚五郎に会った時に、彼はお安に手古摺《てこず》った話をすると、甚五郎は笑った。
「それは困ったろう。あの絵は偉い人のところに納まっているのだから、取返せるものではない。しかし不思議なことがある。あれを描いた絵師はこのあいだ頓死をしたよ。お安に執殺《とりころ》されたのかな。」
絵師の死はお安が喜多屋を立去ったのちの出来事であるのを知って、四郎兵衛は又もや忌《いや》な心持になった。
「今度はお互いの番だ。
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