。」と、お杉は念のために訊いた。
「二十二、三の人で、藤沢から来たといえば判るということでございました。この雨のなかをびしょ濡れになって……。」
二人はいよいよ薄気味悪くなった。この雨のなかをびしょ濡れになって藤沢から追って来た以上、なにかの覚悟があるに相違ない。今度はさざえの殻ぐらいでなく、短刀か匕首《あいくち》でも忍ばせて来たかも知れない。それを思うと、二人は魔物に魅《みこ》まれたように怖ろしくなって来た。
「どうしたもんだろう。」と、お杉は途方に暮れたようにささやいた。
「そうですねえ。」
義助も返事に困ったが、この場合、家来の身として主人の矢おもてに立つのほかはないと決心した。
「よろしゅうございます。わたくしが行って、どんな用か聞いてみましょう。」
「お前、気をおつけよ。」と、お杉は不安らしく言った。
思い切って起《た》ち上がろうとする義助を、四郎兵衛は呼びとめた。彼はいつのまにか目を醒ましていたのである。
「義助、お待ち……。藤沢から来た女はわたしが会おう。」
「いいかえ。お前が会っても……。」と、お杉はいよいよ不安らしく言った。
「義助はなんにも知らないのですから、会ったところでどうにもなりません。わたしが会います。」
四郎兵衛は直ぐに起きあがって、女中と共に梯子を降りて行った。お杉と義助は又もや顔を見合せた。どう考えても不安である。
そこへ又、女中が引っ返して来た。
「あの、旦那さまが仰しゃいましたが、どなたも決して下へお出でにならないように……。」
「承知しました。」と言って、女中を去らせたあとで、お杉は義助に又ささやいた。「して見ると、やっぱり覚えがあるのだね。出先で多分の用意もないが、金で済むことなら何とでも話を付けるか……。」
「旦那も大かたそのつもりでしょう。」
「そうだろうねえ。」
四郎兵衛は容易に戻って来なかった。それが円満に解決した為か、それとも談判がむずかしい為かと、二人は息をつめてその成行きを案じていると、やがて、遠い下座敷で立ち騒ぐような物音がきこえた。人の叫ぶような声も洩れた。
「おまえ、行って御覧よ。」と、お杉はあわてて言った。
もう堪《たま》らなくなって、義助は梯子を駈けおりて行くと、一人の女が宿屋の若い者らに押しすくめられて、表へ突き出されているのであった。距離が遠いので確かには判らなかったが、その女のうし
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